おやつ堂 のあ in 黒部・宇奈月

黒部・宇奈月のちいさな手作りお菓子屋「おやつ堂 のあ」の日々あれこれそれこれぶつくさ日記。今日は何を書こうかな***

自分育て

2015-04-30 15:37:11 | おやつ堂 のあ
やっぱり好きだなぁ、このブログ(笑)
表現行為は自分さがし

森へ行こう(心とからだと子育てと)さんのブログより

*転載はじめ*

「人は誰でも芸術家」

多くの日本人が、「芸術」とは「鑑賞するもの」であって、直接、私たちの生活とは関係がないと思っています。

確かに、高値で売買されるような芸術作品は私たちの生活とは関係がありません。
でも、それは「芸術作品」の話であって「芸術」の話ではありません。

では、「芸術とは何か」ということです。

そこで、このシリーズの最初に書いた

「芸術」とは何か、というと、簡単に言えば「見えない世界にあるものに形を与える行為、もしくはその結果」と言うことになります。

ということに戻るのですが、今日はもう少し具体的に「生活の中の芸術」について書いてみます。

例えば、「今日はどんな洋服を着ようかな」とあれこれ選ぶのも、冷蔵庫の中の残り食材で夕食を工夫するのも「芸術的行為」です。

ですから、人は誰でも日常的に「芸術的行為」を行っているのです。

ただ、それを面倒くさがったり、嫌々やっていたら、それは「芸術」ではなく「作業」になってしまいます。

「芸術家」と呼ばれる人たちは、そのようなことを積極的に楽しもうとし、工夫し、研究し、実践する人達に過ぎません。

絵描きは「絵」を描いているのではなく、自分の心や感覚と対話しながら「絵」を探しているのです。
それはまた、「自分を探す行為」でもあります。

「私は絵が下手だから・・・」と言って、絵を描くことから逃げようとする人は、「絵」も「自分」も探さない人です。

「お絵描き」が大好きな幼い子ども達は、絵を描くことを通して「自分探し」をしているのです。

それは芸術家の態度と同じです。
決して、「上手な絵」を描こうとしているわけではありません。

だからこそ、安易に子どもの絵を評価したり、指導したりしてはいけないのです。

作曲家は「音楽」を作っているのではなく、「音楽」を探しているのです。

「キャッツ」や「ライオンキング」のような、何日も、何ヶ月も、何年も続くような舞台でも、役者達は、毎日「新しい舞台」を創ろうとしているそうです。

「昨日と同じことをやろう」などとは考えていないそうです。

それもまた「自分探し」です。

「正解」や「上手」を求める人はその「自分探し」をしない人です。

そしてそれこそが「創造する」ということでもあるのです。

実は、「創造」の中にこそ「自分」が現れるのです。
だから、人は創造的行為の中で「自分」と出会うのです。

そしてそれを追求しようとしているのが「芸術家」と呼ばれる人たちです。


その「創造」はどんな時でも出来ます。

私たちは毎日歩いていますが、一歩一歩を「初めての一歩」として大切にしながら歩くのも創造的行為であり、芸術的な行為なのです。

朝起きたとき、「さあ、また新しい一日が始まった」と毎日気持ちを新たにすることも、「今日はどんなことが起きるかな」とワクワクするのも、毎日生活が楽しくなるように工夫するのも、創造的行為であり、芸術的な行為なのです。


日本に昔からある「一期一会」という考え方も芸術的な感性の表れです。

ですから、人から「芸術家」として認められるためには、それなりの素質と作品の質が必要になりますが、「芸術的な行為」は誰にでも出来るのです。

幼い子ども達はまだ「正解」を知りませんから、いつも芸術家のように考え、芸術家のように行動しています。

そしてそのことで、「自分育て」をしているのです。

でも、大人に「正解」を押し付けられていると、子どもは芸術家でいることが出来なくなります。

そして、「自分育て」も出来なくなり、人目を気にしながら生きるようになります。

でも、そんな大人になってしまった人でも、自分の心と感覚で感じ、自分の頭で考え、それらを楽しもうとすることで、芸術家になることが出来るのです。

その時、「自分育て」も始まります。

*転載おわり*

新しい自分
新しい毎日
気がついた人から自分育てを楽しもう!
頭で考えるより、動いて感じて表そう

だから???

2015-04-29 19:23:45 | おやつ堂 のあ
ひとりひとりの感性や個性を生かす育て方は難しいですね。
すぐに親の思い通りに育てたがる。
親が望むことを教え、その通りに出来ると満足ですもんね。

森へ行こう(心とからだと子育てと)さんのブログより

*転載はじめ*

「芸術的な行為と子どもの育ち」(結果よりも楽しむことを大切にしよう)

幼い子ども達は、描くことも、歌うことも、踊ることも、何かを作ることも、お話を作ることも大好きです。

「遊び」もいつも創りだしています。

大人は「遊びの方法」を知りたがりますが、子どもは誰からも教えてもらわなくても、自由に遊びます。

絵を描く時も、大人は「描き方が分かんない」とか「上手に描けない」などと言いますが、2,3才までの子どもで、そんなことを言っている子どもとは会ったことがありません。

どんな下手な歌を歌い、下手な踊りを踊っても、恥ずかしがる子もいません。

この時期の子ども達は、心が目覚め始めたばかりなので、芸術的な活動がしたくてたまらないからです。
それが本能的な「心の欲求」なんです。

心が育つための栄養素として「芸術的な活動」が必要になるのです。
そして、それが想像力や創造力や人間性の育ちに大きな影響を与えているのです。


でも、4,5頃から大人のようなことを言い出す子が現れます。

つまり、上手下手を気にする子が現れるのです。
そして、「ぼく下手だから・・・」と言って、描かなくなったり、歌わなくなったり、踊らなくなったりします。

周囲の大人によって、子どもらしさを肯定されながら育っている子はまだまだそんなことは言い出さないのですが、大人によって評価されている子は、そういう意識が目覚め始めてしまい、自分を表現しなくなるのです。

大人はそのつもりがなくても、子どもが描いたり、創ったりしているときに、その「行為」ではなく「結果」を評価していると子どもも結果を気にするようになるのです。

特に、憂鬱質の子は「結果」を気にします。
憂鬱質の子は大人が自分に求めているものを敏感に感じ取るからです。

実際にはそう言わなくても、憂鬱質の子は「大人の無意識」まで感じ取る能力があるのです。

そんな時は、お母さん自身が上手下手にこだわらず、創ったり描いたりすることを楽しんでいる姿を見せて上げればいいのですが、多分それは無理でしょう。

ですから、自由に描かせようなどと思うことは諦めて、「そのままの子ども」、「そのままの自分」を肯定して下さい。

「結果にこだわる描き方」があってもいいのです。
でもそれが絶対ではないということです。
ただそれだけのことです。



子どもはハサミで何かを切ったり、セロテープをペタペタ付けたりするのが大好きです。
それなのに、大人は「何を作るの?」とか「何を作ったの?」などと結果ばかりを気にします。

そして、結果がはっきりとしていないと「無駄なことはしないで」といいます。

大人の価値観的には「ただ切るだけ」、「ただ貼るだけ」ということが理解出来ないからです。

「色水遊び」をするときも、2,3才頃の子ども達は、ただ色を混ぜるだけで、特別「きれいな色」を作ろうとはしません。
なぜなら、子どもにとっての興味は、「きれいな色」ではなく、「色が変わること」の方だからです。

子どもは「変化」そのものを楽しんでいるので、「結果」のために活動しているのではないのです。
そこが大人とは違うのです。

「絵を描く行為」を楽しんでいるのであって、「絵」を描いているのではないのです。

「創る行為」を楽しんでいるのであって、「何か」を創っているのではないのです。

「字」を書くのも同じです。
幼い子どもが「字を書いた」と言って持ってきたものを見ても、とても「字」とは思えません。
それで大人は「正しい字」を教えようとしてしまうのですが、子どもは「字を書くという遊び」をしているだけで、「字」を書いているのではないのです。

そこの所を誤解してしまうと、困ったことになってしまいます。


幼い子どもの活動は「楽しむためのもの」であって、「作品を作るためのもの」ではないのです。
だからこそ芸術的に展開するのです。


子どもが「結果」を意識するようになるのは4,5才頃からです。
「社会的な意識」が目覚め始めると、子どもは「結果」を気にするようになるのです。

その時、周囲の大人が「結果」よりも「楽しむこと」を大切にしているなら、子どもも「自分を自由に表現し、その喜びを体験することが出来るのですが、大人が「結果」ばかりを求めていると、子どもは大人の期待に応えようとするばかりで、自分を表現しなくなるのです。

でも、そんな子ども達でも自由に自分を表現したいのです。
それが心の成長に伴う「心の欲求」だからです。

ですから、大人が「大切なのは結果じゃないんだよ」と言うことを伝えてあげると、子どもは人が変わったように生き生きと自分を表現し始めるのです。

その落差を見ていると、子どもがいかにいつも「子どもらしさ」や「自分らしさ」を抑えて生きているのかがよく分かります。


遊びでも同じです。
仲間と一生にからだを動かして遊んでいるとき、自然の中で遊んでいるときの笑顔は、部屋の中で遊んでいるときには見ることが出来ない笑顔です。

「我が子のこんな笑顔始めてみた」と素直に言ってくれるお母さんもいます。

でも、そのことに気付いている大人は非常に少ないです。

*転載おわり*

結果や評価を気にする大人も多いですよね。

下手だから
不器用だから

だから???

楽しむための創造に結果も評価もいりませんよね。
そのことにたくさんの方が気付いて欲しいです。

ソラ・マメの続き

2015-04-29 13:54:11 | おやつ堂 のあ

撮り忘れていたので写真を送ってもらいました。
ありがとうございます。

今回ドリームキャッチャーに参加していただいた方は、もくもくとゴールに向かって走っておられました。
初めてのことは要領をつかむのに時間がかかると思いますが、それでも、どうしようか、こうしようか、と試行錯誤しながら仕上げていきました。
ままにならなかったこともあると思いますが、それらも含めて楽しんで欲しいと思ってます。

また機会があれば。。。

火風水

2015-04-29 00:27:28 | おやつ堂 のあ
お世話になっている御宅のお隣さんが全焼になっていてびっくりしました。
全焼したお家をみるのも初めてだったし、目の前の光景がなかなか取り込めませんでした
今回、何よりも負傷者がいなかったようなのでそれが幸いですね。

火風水(ひふみ)

浄化パワーを持つ自然のエネルギーは小さいと様々な活用が出来ますが、大きすぎると人の手に終えなくて驚異に変貌します。
だから畏敬の念を心の片隅にいつも置いておくことが大事ではないのかな、と思います。

こうした火事なんかがあると、危険だから危ないからと火を遠ざける傾向になりやすいです。
だけどそれは結果的に自然に対して畏敬の念を抱くことを遮ることになります。
大自然から学ぶことがたくさんあるはずなのに、人をどんどん人工物化していき、人としてのエネルギーが退化していくような気がします。



ソラ・マメを終えて

2015-04-28 00:35:13 | おやつ堂 のあ
26日のソラ・マメが無事に終了しました。
ご参加くださった皆様、本当にありがとうございます。
写真の撮り忘れもあるのですが、ソラ・マメの様子や作品をご紹介します。













モノづくりには正解がありません。
これが販売作品となると、いろんな意味で創意工夫も大切ですが、表現作品としては今の自分の想いをどう形にするのかを楽しんで欲しいと思っています。
なのでわたしが大切に思うのは本人の納得ですかね。
「よし!出来た!!完成!!!」

ホッと一息には、はっぱカフェで。


ハーブティーのイメージが変わったという方が多かったですね。
なおちゃん、ありがとう

今回も始まりギリギリの時間に滑り込み
あれよこれよで時間もあっという間に過ぎて行きました。

今回ドリームキャッチャー担当でしたが、事前に時間があれば流木の輪っかを作ろうと思いつつできず…
用意した蔓は、先月末にまだ芽吹き前の蔓を使用しました。
今回出来上がったドリームキャッチャーも、これからどんどん加飾していってもいいのです。
気になる石や偶然拾った羽根など変化を楽しんで行くのも良いと思います。

キャンドルスペースはうるさくて(笑)
失礼!賑やかで(笑)

バスボムは実用性なものなので、使うことで本当の完成かもしれませんね。
バスタイムの様子が知りたいです(笑)

ソラ・マメ時間、共有してくださった皆様、参加できなくても気にかけてくださった皆様、会場のカーロッツ大町店さん本当にありがとうございました