いつもお世話になっているストーンショップ日月さんのブログに紹介されていた金沢でのアボリジニアート展。
一昨日27日(月)まででした。
行くか?行かぬか?自問自答。
ですが一昨日は納品も何もなく、そうだフリーじゃん。
これは行くべき?なんだと金沢へのドライブを決めました。
目指すは、しいのぎ迎賓館。もちろん行ったことがありません。
ナビ持ってないから、地図を何枚も印刷して出発。
なんとか無事に、何の問題もなくたどり着きました。良かった。
アボリジニアート
大自然の中で狩猟・採集生活をしていたオーストラリア先住民(アボリジニ)が
情報の記録や伝達のために使った絵画表現。
彼等には「読む」・「書く」といった文字がないため、絵を描くことでコミュニケーションをとっていました。
もともと天然の粘土を使って砂絵として、身体の上にボディペインティングとして、
または岩壁などに絵を描き生活手段として使われてきましたが、
1971年にイギリス人の美術教師ジェフリー・バーデンの指導により、西洋のアクリル絵具とキャンバスによって描かれはじめたのが「アボリジナル・アート」の始まりとされています。
アートというより、本来は彼らの当たり前の、普通の表現方法。
彼らは歌を歌いながら楽しんで描いているそうです。
会場でお客様に説明をされてるお話が耳に入ってきたのですが
このアボリジニアートでお金が入ることに便乗して
チョロチョロっと絵を描いて「マネー、マネー」という現状も起きているそうです。
お金って難しいですね。
アボリジニアートの画家の方達には、アボリジニの心を忘れずに描いていってほしいです。
はずき虹映さんのすぴナビ通信(無料メルマガ)に先日書いてあったこと。
『 ベクトル 』
大切にして欲しいのは、
位置ではなく、向き…。つまり「ベクトル」です。
どこに居るのか、ではなく、どこを向いているか、です。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
もしあなたが人生の最期に問われることがあるとしたら、
それはどれだけ高く昇ったかということではなく、
どういう方向を目指して生きて来たか、だけでしょう。
問われるのは、最後まで目指した方向性、つまり「ベクトル」であり、
あなたがどこまで達したかという位置、つまりポジションではありません。
自分を高めると言いますが、「本当の自分」には高いも低いもないのです。
「あるがまま」の自分は高めることも、低く見積もることも出来ません。
比べるものがない限り、自分の位置を測ることは出来ないのです。
他人と比較することはもちろん、過去や未来の自分と
今の自分を比較している間は、どれだけ一生懸命やっても
本当の意味で心が休まることはありません。
今の自分を確認するために、現在地を知ることは大切ですが、
そこでチェックするのは位置ではありません。
位置を気にしだすと、地位が気になります。
他人と比較して、自分がどんな地位に居るのか…とか、
過去にどれだけのことをやったのか…によって、自らの現在地を知ろうとすれば、
かえって「本当の自分」を見失い、人生の迷子になるだけです。
確認するのは、今この瞬間の「ベクトル」だけで良いのです。
あなたが今、どんな位置に居るのかは関係ありません。
あなたがこの瞬間に選択しようとする「ベクトル」が、
「本当にその方向性で良いのか?」ということだけが、自らに問われるのです。
そしてこの「ベクトル」の確認作業は、あなたの人生が終わるまで、
ひと時も絶えることなく、続けられることになるのです。
ベクトルかぁ。。。
私のベクトルは、まだ定まっていない。ブレブレ。
ですがアボリジニアートを観て、もっと自然を感じれるようになりたいなと思いました。
アボリジニアート・ギャラリー
一昨日27日(月)まででした。
行くか?行かぬか?自問自答。
ですが一昨日は納品も何もなく、そうだフリーじゃん。
これは行くべき?なんだと金沢へのドライブを決めました。
目指すは、しいのぎ迎賓館。もちろん行ったことがありません。
ナビ持ってないから、地図を何枚も印刷して出発。
なんとか無事に、何の問題もなくたどり着きました。良かった。
アボリジニアート
大自然の中で狩猟・採集生活をしていたオーストラリア先住民(アボリジニ)が
情報の記録や伝達のために使った絵画表現。
彼等には「読む」・「書く」といった文字がないため、絵を描くことでコミュニケーションをとっていました。
もともと天然の粘土を使って砂絵として、身体の上にボディペインティングとして、
または岩壁などに絵を描き生活手段として使われてきましたが、
1971年にイギリス人の美術教師ジェフリー・バーデンの指導により、西洋のアクリル絵具とキャンバスによって描かれはじめたのが「アボリジナル・アート」の始まりとされています。
アートというより、本来は彼らの当たり前の、普通の表現方法。
彼らは歌を歌いながら楽しんで描いているそうです。
会場でお客様に説明をされてるお話が耳に入ってきたのですが
このアボリジニアートでお金が入ることに便乗して
チョロチョロっと絵を描いて「マネー、マネー」という現状も起きているそうです。
お金って難しいですね。
アボリジニアートの画家の方達には、アボリジニの心を忘れずに描いていってほしいです。
はずき虹映さんのすぴナビ通信(無料メルマガ)に先日書いてあったこと。
『 ベクトル 』
大切にして欲しいのは、
位置ではなく、向き…。つまり「ベクトル」です。
どこに居るのか、ではなく、どこを向いているか、です。
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
もしあなたが人生の最期に問われることがあるとしたら、
それはどれだけ高く昇ったかということではなく、
どういう方向を目指して生きて来たか、だけでしょう。
問われるのは、最後まで目指した方向性、つまり「ベクトル」であり、
あなたがどこまで達したかという位置、つまりポジションではありません。
自分を高めると言いますが、「本当の自分」には高いも低いもないのです。
「あるがまま」の自分は高めることも、低く見積もることも出来ません。
比べるものがない限り、自分の位置を測ることは出来ないのです。
他人と比較することはもちろん、過去や未来の自分と
今の自分を比較している間は、どれだけ一生懸命やっても
本当の意味で心が休まることはありません。
今の自分を確認するために、現在地を知ることは大切ですが、
そこでチェックするのは位置ではありません。
位置を気にしだすと、地位が気になります。
他人と比較して、自分がどんな地位に居るのか…とか、
過去にどれだけのことをやったのか…によって、自らの現在地を知ろうとすれば、
かえって「本当の自分」を見失い、人生の迷子になるだけです。
確認するのは、今この瞬間の「ベクトル」だけで良いのです。
あなたが今、どんな位置に居るのかは関係ありません。
あなたがこの瞬間に選択しようとする「ベクトル」が、
「本当にその方向性で良いのか?」ということだけが、自らに問われるのです。
そしてこの「ベクトル」の確認作業は、あなたの人生が終わるまで、
ひと時も絶えることなく、続けられることになるのです。
ベクトルかぁ。。。
私のベクトルは、まだ定まっていない。ブレブレ。
ですがアボリジニアートを観て、もっと自然を感じれるようになりたいなと思いました。
アボリジニアート・ギャラリー