
同じようなスピード感で流れていた感じがする。
今日は30日。
明日から7月です。

故人の大好きなものと
うちのお菓子を詰め合わせ。
熨斗は「感謝」で、との依頼。
通常に囚われず
形式に想いを込めて。
先日「家系図を作ったの」と依頼主さんから見せてもらいました。
法要とかって
お坊さんのためのものかと思ってたけど😂
自分たちの後ろを再確認する場でもあるのだろうなぁと今なら思います。
それがある意味
今を生きる人の強さになるのではないだろうか、と思ふ。
もちろん出生や生い立ちが複雑な人もいるけど
一般的な話ね。
自分のルーツを知りたがるのは人間だけだし
人間だからこそ知りたがるのかもしれません。
なんていうのか
人間には歯止めが必要なんだと思う。
ルーツを知り、生命を知り、そのアイデンティティを携える。
そうやって道を外さないように
年配者たちが諭してゆくのが本来の姿なのかも。
なんとなくね。