主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとってあまりに不思議、あまりに高くて、及びもつきません。
以上は旧約聖書、詩篇139篇1節~6節である。
今日はこの御言葉を思い出してしまうそんな出会い・出来事があった。
先日、洗礼の証に書いた「与えられたように感じた出会い」の話を書いたが今日もまたそんな出会いがあったのだった。
今日は新大久保駅近くにあるの淀橋教会で首都圏キリスト教大会があり、同じ教会につどう姉妹方とともに行ってきた。
今日は体の調子もよく、電車の中でも話が弾んで苦しくなるような事はなかった。感謝だ。話をしてくれた姉妹も同じようにパニック障害があり、ご自分の苦しい体験を話してくださった。自分と同じ体験をした人の話をきき、ほっとし、彼女が今、元気でいる事で励まされたし、うれしかった。
さて、講演会の前にハープの演奏があった。ハープの音色は大好きなのでとても楽しみだった。美しい音、堂々とした演奏。そうして曲と曲の合間にハープ奏者は話を入れていくのだが、なんだか雲の上のような人だなぁとおもっていた彼女と私には共通点があることに気づいた。クリスチャンで、楽器の講師をしていること、賛美の奉仕をしていること、年齢が近い、高2と中1のわが家と同じくらいの息子さんがいる事、そんな話を聞きながら、私は彼女のようにすごい演奏家ではないけれどもなんだか境遇が似ているなと彼女を身近に感じる事ができたので、それがちょっとうれしかった。
そのうちに彼女は末っ子の話しをし始めた。座って話を聞いてられない、学校でも知らないうちにどこかに行ってしまう。何度言い聞かせても直らない。このあたりから、「あれ?何か長男に似ている」と思った。そして彼女友達のアドバイスを受けて末っ子を医者に診せたのだそうだ。そして言ったのだった。「ドクターの診断はアスペルガー症候群というものでした。」その言葉を聴いたとたん、涙がぽろっと出てきてしまった。「ああ、また、こんな出会いが・・・」隣では私の事情を知っている姉妹がやはり泣いていた。「パスピエさんはひとりじゃないんですよ・・。」といって。
ハープ奏者の方は私の大好きな曲、イ・ミンソプ作曲の「君は愛されるため生まれた」を奏でていた。その曲を弾く前にその子供さんが神様に愛されるため生れ、そして彼女もまた神様に愛されてると改めてそう思うといっていた。その言葉にそれまでの子育ての苦悩がわかるような気がした。
講演会が終わって先ほどのハープ奏者の方におずおずと話しかけてみた。でも途中で言葉にならなくなってしまった。「私の息子もアスペルガーなんです。」それだけがやっといえた。そして彼女もその一言で全部のみこめたようだった。彼女の紹介でアメリカから来た伝道師の方に祈っていただいた。その後、2人でこの子供たちを通してたくさんの恵みが与えられている事を感謝した。
そこで先に紹介した詩篇の139篇をおもいだしたのである。最近の体調、講師としての仕事や賛美の事、発達障碍の子供をめぐって感じていた切なさとか寂しさとか全部神様はわかっていたんだなぁと思った。同じような苦しい体験をした人をそばにおいてくださり、同じように苦悩しながら賛美をささげている人にあわせていただいた。今日会ったことは神様の憐れみのように感じたのだった。
詩篇139篇はこの言葉で終わる。
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
これは今の私の祈りの言葉でもある。
あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとってあまりに不思議、あまりに高くて、及びもつきません。
以上は旧約聖書、詩篇139篇1節~6節である。
今日はこの御言葉を思い出してしまうそんな出会い・出来事があった。
先日、洗礼の証に書いた「与えられたように感じた出会い」の話を書いたが今日もまたそんな出会いがあったのだった。
今日は新大久保駅近くにあるの淀橋教会で首都圏キリスト教大会があり、同じ教会につどう姉妹方とともに行ってきた。
今日は体の調子もよく、電車の中でも話が弾んで苦しくなるような事はなかった。感謝だ。話をしてくれた姉妹も同じようにパニック障害があり、ご自分の苦しい体験を話してくださった。自分と同じ体験をした人の話をきき、ほっとし、彼女が今、元気でいる事で励まされたし、うれしかった。

さて、講演会の前にハープの演奏があった。ハープの音色は大好きなのでとても楽しみだった。美しい音、堂々とした演奏。そうして曲と曲の合間にハープ奏者は話を入れていくのだが、なんだか雲の上のような人だなぁとおもっていた彼女と私には共通点があることに気づいた。クリスチャンで、楽器の講師をしていること、賛美の奉仕をしていること、年齢が近い、高2と中1のわが家と同じくらいの息子さんがいる事、そんな話を聞きながら、私は彼女のようにすごい演奏家ではないけれどもなんだか境遇が似ているなと彼女を身近に感じる事ができたので、それがちょっとうれしかった。
そのうちに彼女は末っ子の話しをし始めた。座って話を聞いてられない、学校でも知らないうちにどこかに行ってしまう。何度言い聞かせても直らない。このあたりから、「あれ?何か長男に似ている」と思った。そして彼女友達のアドバイスを受けて末っ子を医者に診せたのだそうだ。そして言ったのだった。「ドクターの診断はアスペルガー症候群というものでした。」その言葉を聴いたとたん、涙がぽろっと出てきてしまった。「ああ、また、こんな出会いが・・・」隣では私の事情を知っている姉妹がやはり泣いていた。「パスピエさんはひとりじゃないんですよ・・。」といって。
ハープ奏者の方は私の大好きな曲、イ・ミンソプ作曲の「君は愛されるため生まれた」を奏でていた。その曲を弾く前にその子供さんが神様に愛されるため生れ、そして彼女もまた神様に愛されてると改めてそう思うといっていた。その言葉にそれまでの子育ての苦悩がわかるような気がした。
講演会が終わって先ほどのハープ奏者の方におずおずと話しかけてみた。でも途中で言葉にならなくなってしまった。「私の息子もアスペルガーなんです。」それだけがやっといえた。そして彼女もその一言で全部のみこめたようだった。彼女の紹介でアメリカから来た伝道師の方に祈っていただいた。その後、2人でこの子供たちを通してたくさんの恵みが与えられている事を感謝した。
そこで先に紹介した詩篇の139篇をおもいだしたのである。最近の体調、講師としての仕事や賛美の事、発達障碍の子供をめぐって感じていた切なさとか寂しさとか全部神様はわかっていたんだなぁと思った。同じような苦しい体験をした人をそばにおいてくださり、同じように苦悩しながら賛美をささげている人にあわせていただいた。今日会ったことは神様の憐れみのように感じたのだった。
詩篇139篇はこの言葉で終わる。

私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
これは今の私の祈りの言葉でもある。