風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

紙きり~切り紙~切り絵

2006-05-19 17:07:51 | 
紙きり好きが高じてこうなりましたというお話。

古典芸能の紙きりがすきなのは前日の日記や「池袋演芸場」にも書いてある。4月の寄席で見た林家正楽師匠の紙きりはすごかった!!

そんなにすごいのはできないけれど、見よう見まねで雑誌載っていた写真のカラスを切ってみた。


正楽師匠のように短い時間ではできません・・・。
正楽師匠のように切り抜いて、あとの形を見せられません・・・。残った紙は切り抜いた形はなく、ジャギジャギです・・・。

そして、こちらはアメリカの老人ホームでご披露した?ちょっとおデブなミッキーマウス。


カラスのように時間はかけられないし、万が一失敗してなんだかわからないより、ミッキーだったら多少変でもわかるだろう。折り紙を半分にして左右対称になるように切るほうが手っ取り早い。眉と口は後で切って付け足した。

そして最近では切り絵に凝っている。もともと教会で影絵を作ったのがきっかけで、その後、今つどっている教会の掲示板を飾りたくてはじめたものだ。題は「放蕩息子」。

これはもちろんハサミではできない。おおかた下絵を書いてカッターで切り抜いていく。

放蕩息子はイエスのたとえ話として新約聖書に出てくる話だ。親が生きているうちに財産を分けてもらって放蕩三昧、財産はすぐに尽き、友達だと思っていた取り巻きもいなくなる。基金が重なり食べるのにも事欠く息子。悔い改めて使用人の1人として雇ってもらおうと父の元に帰ってきた息子。父は、これだけ自分勝手な生き方をしていた息子を拒絶することなく「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」と大喜びして迎えるという話。場面は父が帰ってきた息子をかわいそうに思い駆け寄るところをあらわした。

ちなみに、この話は神からはなれて自分勝手に生きている人間が、どんなに罪を犯しても、どんなにだめなやつでも悔い改めて神に立ち返れば赦してくれる、無条件で受け入れられ祝福してくれるという例えである。

という事で紙きり転じて今は切り絵となっている。どちらも楽しいが、やっぱり話術と芸術とが一体となった正楽師匠の紙きりは圧巻。紙きりは見るのが一番!