この本を読むと、才能があるからピアニストになれたのではないことが良くわかります。
もちろん人並み以上の能力があってのことですが、皆さん音楽を自身の人生にすると決意してこの道を選んでいる強さを持っています。
表現するために必要なことをどんなに小さなことも見逃さず、完全に理解し実現するためにどれだけ多くの時間と手間をかけているか。
情熱の熱量が凄まじい。
しかし彼らにとってそれは当たり前。
この第3巻に掲載されている女性ピアニストの話が面白いです。
チュニジア生まれフランス育ちのブリジット・エンゲラー(Brigitte Engerer)。
彼女は子供の頃からロシアの文化や芸術を愛していたそうで13歳からロシア語を学び、トルストイ、プーシキン、ドストエフスキー、チェーホフなどの文学を読み漁っていたそうです。
チャイコフスキーコンクールをきっかけにマリーニンの招きでモスクワで勉強することになったそうです。マリーニンに師事するつもりでしたがクライネフにスタニスラフ・ネイガウス(ネイガウスの息子)を勧められ、マリーニンに断りに行った時、マリーニンの顔を見た途端泣き出してしまったそうです。
彼は「大したことではない」と言い、気にせず何か困ったことがあったらいつでも来るように励ましてくれたとのこと。2度目にチャイコフスキーコンクールを受けた時には熱心に指導してくれ、いつも温和で優しい人だったと。(マルチェンコ先生の生徒さんにマリーニン君がいますが、関係あるのかな・・?)
スタニスラフ・ネイガウスはとても厳格な教師だったそうです。楽曲の構成、響きの濃淡(以下省略)、ひとつもおろそかにせず適切なテクニックを使って表現することは大変なことだったと。
ショパンのバラード第4番のレッスンでは2時間で2ページ目すら終わらなかったと。
1曲学ぶのに6か月かかることもよくあったそうです。
そのおかげで新しい音楽の世界に導いてくれたけれど、数えきれないほどの挫折も経験させられたと。
その挫折の話の一つが面白いです。
チャイコフスキーコンクール前日に仕上げのアドヴァイスと激励の言葉をもらいたくて彼の所に行ったら、苦労を重ねて準備したプログラムをガラクタのようにこき下ろされたと。
彼女は「明日、コンクールで私は弾くんです。・・中略・・私の演奏はそんなに酷いですか?私が明日ステージで弾いたら恥をかくだけでしょうか?コンクールにはもう参加しません!」
と言うと彼は、
「コンクール?それが何だ!コンクールと音楽が比べられるか?大切なのは音楽だけだ。・・中略・・今日私が教えた後、あなたの演奏が明日よくなっていればいいのだ!音楽!音楽!音楽!大切なのはそれだけだ」
彼に敬愛と感謝の念を持ち続けているけれど、何度絞め殺してやりたいと思ったことか・・
だそうで。
前回ご紹介したバヴゼの奥様もピアニストでハンガリー人の方のようですが、クルタークに師事していたそうで、シューベルトのソナタ第14番のレッスンを受けた時に第1楽章の初めの8小節に半年かかったとか。
追求度が半端じゃない・・
どうしてこんなにできないんだと挫折しそうになりますが、そこで挫折しないのがピアニストです。
タフです・・
で、この奥様の話でひとつ面白い話が。
フォーレが嫌いらしく、フォーレのピアノ三重奏でバヴゼがピアノを弾いた時にリハーサルで譜めくりをしていたら、横で時々嘔吐しそうな声が聞こえてきて演奏できなくなってしまったと。
彼女は「私にはフォーレの転調が耐えられないの。あっちに行ったりこっちに行ったり・・。主和音に戻る気はないのかしら?って思うのよ。」
後期のフォーレの和声は迷宮のようで、真剣に聴きながら和声の分析をしていた彼女は、めまいがして吐きそうになったのだそうです。
本番ではバヴゼが自分で譜めくりしたそうで。
ホロヴィッツもフォーレの暗譜は本当に難しいと言っていました。
アンコールでフォーレを弾いた時にもう二度と弾かないと言ったそうです。転調が覚えられないと。
ホロヴィッツでさえそうなのかと。
というか暗譜の必要がないくらいすぐに覚えられるのかと思っていました。
この大大大家と比べるな!ですが、私は暗譜ができそうにないと、その理由で初めてあきらめたのがフォーレです。(テクニック的な問題であきらめた曲は数知れず )
自分の記憶力がものすごく劣ったと思っていました。
そうではなかったのか、本当にそうだったのか・・
エンゲラーさんの演奏です。彼女は2012年に亡くなっています。ヘビースモーカーだったそうで。ご主人はケフェレックの弟。晩年はベレゾフスキーと連弾、2台で組んでいたそうです。
もちろん人並み以上の能力があってのことですが、皆さん音楽を自身の人生にすると決意してこの道を選んでいる強さを持っています。
表現するために必要なことをどんなに小さなことも見逃さず、完全に理解し実現するためにどれだけ多くの時間と手間をかけているか。
情熱の熱量が凄まじい。
しかし彼らにとってそれは当たり前。
この第3巻に掲載されている女性ピアニストの話が面白いです。
チュニジア生まれフランス育ちのブリジット・エンゲラー(Brigitte Engerer)。
彼女は子供の頃からロシアの文化や芸術を愛していたそうで13歳からロシア語を学び、トルストイ、プーシキン、ドストエフスキー、チェーホフなどの文学を読み漁っていたそうです。
チャイコフスキーコンクールをきっかけにマリーニンの招きでモスクワで勉強することになったそうです。マリーニンに師事するつもりでしたがクライネフにスタニスラフ・ネイガウス(ネイガウスの息子)を勧められ、マリーニンに断りに行った時、マリーニンの顔を見た途端泣き出してしまったそうです。
彼は「大したことではない」と言い、気にせず何か困ったことがあったらいつでも来るように励ましてくれたとのこと。2度目にチャイコフスキーコンクールを受けた時には熱心に指導してくれ、いつも温和で優しい人だったと。(マルチェンコ先生の生徒さんにマリーニン君がいますが、関係あるのかな・・?)
スタニスラフ・ネイガウスはとても厳格な教師だったそうです。楽曲の構成、響きの濃淡(以下省略)、ひとつもおろそかにせず適切なテクニックを使って表現することは大変なことだったと。
ショパンのバラード第4番のレッスンでは2時間で2ページ目すら終わらなかったと。
1曲学ぶのに6か月かかることもよくあったそうです。
そのおかげで新しい音楽の世界に導いてくれたけれど、数えきれないほどの挫折も経験させられたと。
その挫折の話の一つが面白いです。
チャイコフスキーコンクール前日に仕上げのアドヴァイスと激励の言葉をもらいたくて彼の所に行ったら、苦労を重ねて準備したプログラムをガラクタのようにこき下ろされたと。
彼女は「明日、コンクールで私は弾くんです。・・中略・・私の演奏はそんなに酷いですか?私が明日ステージで弾いたら恥をかくだけでしょうか?コンクールにはもう参加しません!」
と言うと彼は、
「コンクール?それが何だ!コンクールと音楽が比べられるか?大切なのは音楽だけだ。・・中略・・今日私が教えた後、あなたの演奏が明日よくなっていればいいのだ!音楽!音楽!音楽!大切なのはそれだけだ」
彼に敬愛と感謝の念を持ち続けているけれど、何度絞め殺してやりたいと思ったことか・・
だそうで。
前回ご紹介したバヴゼの奥様もピアニストでハンガリー人の方のようですが、クルタークに師事していたそうで、シューベルトのソナタ第14番のレッスンを受けた時に第1楽章の初めの8小節に半年かかったとか。
追求度が半端じゃない・・
どうしてこんなにできないんだと挫折しそうになりますが、そこで挫折しないのがピアニストです。
タフです・・
で、この奥様の話でひとつ面白い話が。
フォーレが嫌いらしく、フォーレのピアノ三重奏でバヴゼがピアノを弾いた時にリハーサルで譜めくりをしていたら、横で時々嘔吐しそうな声が聞こえてきて演奏できなくなってしまったと。
彼女は「私にはフォーレの転調が耐えられないの。あっちに行ったりこっちに行ったり・・。主和音に戻る気はないのかしら?って思うのよ。」
後期のフォーレの和声は迷宮のようで、真剣に聴きながら和声の分析をしていた彼女は、めまいがして吐きそうになったのだそうです。
本番ではバヴゼが自分で譜めくりしたそうで。
ホロヴィッツもフォーレの暗譜は本当に難しいと言っていました。
アンコールでフォーレを弾いた時にもう二度と弾かないと言ったそうです。転調が覚えられないと。
ホロヴィッツでさえそうなのかと。
というか暗譜の必要がないくらいすぐに覚えられるのかと思っていました。
この大大大家と比べるな!ですが、私は暗譜ができそうにないと、その理由で初めてあきらめたのがフォーレです。(テクニック的な問題であきらめた曲は数知れず )
自分の記憶力がものすごく劣ったと思っていました。
そうではなかったのか、本当にそうだったのか・・
エンゲラーさんの演奏です。彼女は2012年に亡くなっています。ヘビースモーカーだったそうで。ご主人はケフェレックの弟。晩年はベレゾフスキーと連弾、2台で組んでいたそうです。