おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

カントロフ、ライブで聴きました!

2019年10月31日 | コンサート情報
たった今、Mediciでライブ配信されていたカントロフの演奏を聴き終えました!

サン・サーンスのピアノコンチェルト第5番「エジプト風」

澄んでキラキラした音
情景が浮かんできて映画を見ているようでした。(と言いながら、具体的な物語は私の中には構築されておりません

どこもかしこも洗練されていて、私は白いつばの広い帽子をかぶり海辺を散策するMadammeになった気分でした(洗練=マダム 安易な発想)。なんだか勝手に旅の主人公になっていました。

第2楽章のガムランのようなところ、ピアノの音じゃないような不思議な音がしました。彼は魔法使いです。神秘的な音に酔いました。


アンコールは「火の鳥」を途中から弾き始めました。
サン・サーンスの音楽の雰囲気を受け継いだエキゾチックな部分から弾き始めたので、しばらく何の曲かわかりませんでした。

彼の和音、凄いことになっています。
同時に弾いた音なのにそれぞれに異なる輝きがあって、ルビーとサファイアとアメジストが同時に輝いているような音をしていました。(知っている宝石を書いてみただけです。宝石のようだったことは確かです)

チャイコンの時に和音の鳴り方が他の人と違う気がしてなぜだろうと思っておりましたが、こういうことだったのかなと思いました。

一音一音異なる輝きがあるのにゴチャゴチャにならない。
このテクニックがあるから「火の鳥」がピアノではないように聞こえる。
もちろん一音が歌になるような音も持っているからでもあります。

軽いタッチの音も魔法使いでした。杖を一振りして妖精でも呼んできたのかと思いました。

彼は何者でしょう。
凄すぎる・・

Valery Gergiev conducts Mussorgsky, Saint-Saëns, Ravel and Berlioz — With Alexandre Kantorow
1st Moscow's International Zaryadye Festival
カントロフは8'40"辺りで登場します。
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遊藝黒白 第3巻 #4「作曲家の意図は、すべて楽譜に!」

2019年10月31日 | 書籍紹介
この本のことをこんなに書くつもりはなかったのですが、最後にどうしてもご紹介したいピアニストがいます。

バイロン・ジャニス(Bayron Janis)
アメリカのピアニストで、ホロヴィッツの最初の弟子で一番長く教えを受けていた人物です。

ホロヴィッツはレッスンで模範演奏を示すことはなかったそうです。
しかし、レッスンが終わるといつも楽しそうに演奏を聴かせてくれ、それが一晩中続くことも珍しくなかったと。

あまりに彼の演奏を聴きすぎてしまったので自分自身を見失い、彼の真似をして弾くようになってしまった。5年間学びその後5年かけて彼の演奏の影響からやっと抜け出したそうです。

インタビュアーの焦さんが、「あなたのショパンの演奏には他のどのピアニストとも比べられない魔力があり、ショパン自身が弾いているのではないかと思うほどです」とおっしゃっているので、どんな演奏をされる方かと興味を持ち演奏を探してみました。

こちらです。
Byron Janis plays Chopin's Ballade No. 1 Opus 23 (1952 rec.)

第一音、ホロヴィッツっぽいと思いましたがそのあとは違います。
聴き入ってしまいました。そして続けて3回も聴いてしまいました・・
この曲好きですが聴き飽きてしまっていて、こんなに聴くつもりはなかったのに。

ジャニスさんはショパンがいつもすぐそばにいる気がすると。
ショパンは演奏している時、ピアノを弾いている感覚ではなく魂を表現している感覚だったのではないか。彼自身よく「どこかへ」「あそこに」と言っていたようだと。現実ではないどこか。

第3巻は存じ上げないピアニストが多いのですが、聴いて一番驚いたのがジャニスさんです。

ここから先は、バラードの演奏を聴いた翌々日に読んで知ったことです。

ジャニスさん、子供の頃のケガで左手小指の感覚がないのだそうです。
45歳頃に関節炎になり、63歳頃関節炎の痛みがひどくなり手術をし親指の先を失ったそうです。
絶望感を味わいながら毎日を過ごし、やりきれない思いを何曲かの歌曲にしたそうです。それが友人に素敵だとほめられ、ミュージカルの台本に曲をつけることを勧められ、この経験が希望を与えてくれたと。
他の方法で自分を表現することができる、人生には様々な可能性があると考えられるようになり、手の問題にも立ち向かうことができるようになったそうです。
練習方法を工夫し、再び演奏できるようになったとのことです。

敬服。

レオン・フライシャーが右手を故障した話は有名ですが(局所性ジストニア)、彼は右手に問題が生じても音楽を追求することをやめなかったそうです。考えてもいなかった、教育活動に身を投じ、指揮にも挑戦することに。
障害を負う前より良い音楽家、良い教師になったと思うと。一つの窓が閉ざされても他にたくさんの窓がある。人間は不断に成長していけると思うと話されています。
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