先日のバスジャック事件の記事をアップしたら、すぐに昔の日本語の教え子君からメッセージが入りました。
「あのバスは ぼくが毎日大学に行く時に乗っていたバスでした。とてもショックです。」
今は仕事の関係でリオを離れている彼ですが、高校大学と事件の起ったバスと同じ路線のバスを使っていたそうです。
リオを離れてずいぶんになる彼ですが、彼が通学していたころにこういう事件が起こった可能性もあったわけですからね。
彼とメッセージをやり取りしていると、ほぼ同時に私も彼も「174番オニブス(バス)事件」を話題になりました。
今回のバスジャック事件のニュースの中でも、「174番オニブス事件」との類似性、相違点などがずいぶん話されていました。
私がこの事件を生々しく覚えているのは、今回の教え子君と同じように「この174番オニブスを頻繁に使っていたから」です。
家の前の幹線道路を通るバスで、ボタフォゴ地区にあった病院や娘が通った児童館、途中にある植物園、終点にあるプラネタリウムなどに行くのに とても便利なバスだったのです。
「174番オニブス事件」が起こったのは、今から19年前、2000年の6月12日午後。
セントロのターミナルを出発したバスは、終点間近のジャルジンボタニコ地区で バスジャックされました。
犯人は22歳の青年。
彼は1993年に起きた「カンデラリア教会の路上生活児虐殺事件」の生き残りでした。
軍警察によって8人の路上生活児が射殺されたこの事件の後、安全な場所に保護されていた彼らでしたが、成人になり保護が解かれると 結局戻って来た場所は夜の路上。
そして、麻薬を買うために犯罪を繰り返していました。
174番オニブスを乗っ取った後、彼は乗客たちを拳銃で脅し続けました。
そして、事件発生から4時間半後、人質の一人を連れてバスから降りてきました。
「人間の盾」となったのは、妊娠2か月だった ファベーラにある中学校の音楽教師。
コーラスの指導をするために 学校に向かう途中でした。
バスから出たところで 警察は犯人に向けて発砲しますが、結局被弾して死んだのは 人質の女性。
犯人の青年も銃弾をうけ軽い怪我をして 取り押さえられます。
軽いけがということで、そのまま警察の車で護送されますが、結局警察に着くまでの車の中で暴行を受け、頸の骨を折られて死亡しました。
この事件のことはその後 映画などになり 人々の記憶に残ることになるのです。
「Ônibus 174 」「Última parada 174」興味のある方は ご覧になってみてください。