インターネットを使って地図を見ていたら、思いもがけない風景に出会いました。
ここは 昔のペケママの職場。
リオデジャネイロのある場所です。
1992年 初めてブラジルに来て 働いた場所。
ある日本企業が作った施設ですが、その企業が撤退するとともに 維持が難しくなり、私が職場を離れて数年後にほかの場所に移転しました。
もともと リオデジャネイロ市との取り決めで、この場所を撤退するときには 市に土地や建物をすべて寄付するということでした。
きっともう、建物などは取り壊されているんだろうと思っていただけに、思いもがけず昔の姿で残っていて、胸が痛くなるような思いに駆られました。
建物の周囲はファベーラで囲まれ、それが施設が移転するきっかけの一つになりました。
毎日毎日 3年間、このファベーラと向き合いながら暮らし、銃声がすれば物陰に隠れ、それでも怪我一つなく過ごしてこられたのは 本当に運が良かっただけなのだと思います。
ここで一緒に働いてきたブラジル人同僚の何人かは すでに鬼籍に入ってしまいました。
本来なら まだまだ元気で活躍していたはずの人たちです。
そんな人たちとの思い出が詰まった場所です。
取り壊されていなかったことが 本当にうれしい。
何台もの送迎バスが止まっていた場所。
そして 毎日の通勤路。
ポルトガル語も満足に話せないまま、それでも 毎日バタバタと生きていた毎日でした。
ブラジルに来て もう27年、ブラジルで生きてきた時間のほうが長くなりました。
もちろん、一つ一つの出来事、そこでかかわってきたすべての人たちが 私のブラジル生活を支えてきたものなのですが...
この場所で一緒に働き、生きてきた人たちは、今の私のブラジル生活の根っこを一緒に作りあげてくれた人たちだと思っています。
それこそ、トラブルもあった、喧嘩もあった。
大変なことはたくさんあったけれど、それだけ 本当の家族のように過ごせてきたような気がします。
建物はすべて残っているようです。
いつか、本当にいつかですが、この場所で懐かしい皆さんに会いたい。
もちろん 全員は無理でしょう。
それでも、あの空気を知っている方と ゆっくりと歩いてみたいと思うのです。