デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



何度もソウルに行っている人の中には、
この画像だけでどこの通りなのか、凡そ
の見当がつく方もいるかもしれない。


地下鉄4号線明洞駅から
出て少し歩いた辺り

機内では両替も街の散策も宿に荷物を置いてからのつもりでいたが、明るい内の時間を有効に使いたくなった。荷物を担いだままとりあえずソウル市内で両替レートが良いとされる市中の両替所が集まっている明洞(ミョンドン)に来た。帰国前にお土産買えそうな所の目星もつけておきたかったこともある。


事前情報どおりのそれっぽい通りだな
と思った。ハングル文字が溢れていなか
ったら外国に来た感じがしなかったかも。


こういった感じの
両替所があちこちにある




韓国銀行
貨幣金融博物館

両替所行脚をしているうちに南大門路に出てしまったので引き返した。

この辺りで両替した

少しでもレートの良い両替所を探した。ガイドブックやネットでは紹介されていない所だったが、窓口の奥でマダムが電話でケタケタ喋っていた両替所が一番レートが良かった。私が窓口に現れるとすぐに対応してくれて、パスポートも見ないでさっと両替してくれた。二万円が180,200ウォンになった。去年よりやっぱり円安だ。
3枚の50,000ウォン札を10,000ウォン札15枚に換えてもらうように、바꿔(パッコ)や교환(キョファン)、오만원짜리로 바꿔주세요. (5万ウォンを細かくしてください)、다섯 장(タソッ チャン)などの単語を連発して頼んだ。学習内容を少しは生かしたつもりだったが、言葉よりも私のそぶりだけで「あぁ細かくするのね」と即察してくれてありがたかった。

ツーリストポリスの人がこの路上
パフォーマーに移動を促していた。
同時に球が破裂しないか心配げな
表情もだったので印象に残った。


明洞には屋台もたくさんあるとガイドブックで読んではいたが、通りの真ん中に連なる形とは思わなかった。屋台が出ているところはとても活気があった。また色々なお店があり、人気スポットであることはよく分かった。



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交通系ICカードでピッと
やって改札を通過する。


こちらは地下鉄の改札。昨年(2022)の
cash beeカードで普通に入場できた。
ソウル駅では地下鉄1号線と4号線に
乗ることができる。主幹駅といっていい。



地下鉄4号線のソウル駅はプラットホームの幅が広く、スカーフやちょっとした服やカバンまで売っている売店があって意外だった。というか地下鉄乗り場での売店を見たこと自体、初めてだったように思う。


4号線に乗った


初めてのソウルの地下鉄で
軍人さんと同じ車両に乗る
とは、けっこうレアなのかも



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カードチャージ機

改札の前に交通系ICカードのチャージ機があった。昨年使ったカードでチャージしようとした。機械はCash beeにも対応していたが、カードを置く位置が「分かり易すぎて」勘違いし、一度やり直した。チャージ額は10,000ウォンにした。


プラットホームへ


しばらく待った

一般列車で淡々とソウル駅へ。はす向かいに座っていた白人女性二人(ドイツ系)の声が少し響いていた。
車内のディスプレイには「独島は韓国の領土。日本は真実を知れ!」などというPRニュース?みたいなのが映っていたが、ものの数十秒もなかった。基本的にニュースやCMが流れていた。

ソウル駅行き

あと数駅

ソウル駅に近づくにつれ
人が少なくなっていった

ソウル駅到着

ソウル駅に到着した。そのまま地下鉄に行けそうだったが、A'REXの改札を一旦出て清算してから地下鉄の改札に入り直さねばならない、といった事前情報に従い、左奥のオレンジの改札から一旦出た。



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仁川国際空港到着

機内では窓側の席に座った。機体が安定し座席ベルトを外してよくなってから、入国カードに記入したりガイドブックを読んだりして過ごした。1時間くらい経ったころ、隣の席の年配のご夫婦から話しかけられた。
ハングルと英語で「何か(ソウルについて)知りたいことありますか?」とのことだった。韓国は初めてか?、何日の予定で宿はどこか?、行きたい場所は?と一通り訊いてくださった。
宿へのルートについては調べておいたので、ソウルは初めてであることや大まかな行動計画や、ご夫婦のおすすめの場所などについてをおしゃべりした。市内の有名どころの行きたい場所への詳細なアクセス方法などは、本当は予習済みだったが、ご主人が自分のスマホも駆使し教えてくださったのがうれしかった。
せっかくなので、ソウル市内到着後、なるべく到着日かその翌日のうちに行きたい所について、具体的なことをダメもとでお訊ねした。
その場所は広通橋という橋なのだが、私は日本を発つ前にソウルの歴史を図説した本でしか、凡その位置を調べることができなかった。機内でその図説の本の地図をご主人に見てもらったが「広通橋?聞いたことがないなぁ」と困惑されていたように思う。朝鮮王朝の宮廷のエピソードや歴史に関心が無いとまず目にしたり耳にしない橋だが、ご主人のご協力で本の大まかな地図とスマホの地図アプリを照らし合わせ、たぶんこの辺りではないか?といった目星がついたのはありがたかった。
飛行機は無事着陸した。


入国審査へ



入国審査の前のエアトレインに乗車する前の行列に、機内での隣席のご夫婦がいらしたので「신세많이 졌습니다,シンセマーニチョッスムニダ(お世話になりました)」とお礼を言ったら「アンニョン」とご返事いただいた。
2022年の初韓国旅行では入国審査の前にQ-CODE、入国審査でK-ETAをともにスマホで提示したが、今回は入国カードだけですんなり通過できてよかった。


到着ロビーを出た。ひとまずホッとした。


空港列車へ





Airport Railroadへの案内板





仁川国際空港からソウル駅へアクセスにはいくつか方法があるが、Airport Railroadこと空港鉄道のA'REXを利用することにした。ノンストップの直通列車と各駅停車の一般列車とがあるのだが、一般列車の方への乗り場の行き方で一瞬迷った。



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利用した航空
会社のカウンター

2023年9月下旬、韓国に行った。


出国ゲートを出たところ。

2022年と比べると、利用客が多くなったのが目に見えて分かった。


マスクをしている
人の方が少なかった



今回は予定時刻にきちんと離陸した。


この角度から関空を
見たのは初めてだった


たんたんとしたフライトだった



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朝、1号線で漢江を渡る

2024年になりました。本年もよろしくお願いいたします。


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某動画サイトにて、韓国の旅を模様を動画にしているものを視聴時、おや?これでは?と思ったものがあった。
それはずばりこういったイヤホン型翻訳機で、弊サイトのこちらのポケットWi-Fiというのは私の間違いだったと思う。隣席の彼は外国語の翻訳を耳にしながらサイトを見たり通話していたのだ。
最新機器に疎い私だが、この翻訳機は便利だと思った。昔SFドラマで見た宇宙翻訳機の実現も現実味を帯びてきているのかもしれない。


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一年前のこの日、扶余と慶州にいたのでソウルにはいなかったが日本で心配してくれていた方々がいらしたのを思い出した。あとで事故の規模と被害を知って青ざめた。
二度とこのような事故が起こりませんように。


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唯一のお土産。CUで
買ったコーヒーナッツ

帰国して2週間後ぐらいに、韓国旅行に対しモチベーションを保っているもののコロナ禍のせいで控えている人とお会いする機会があって、
「(コロナ禍の)この時期に行ってきたの!?」
と驚かれた。
なんでもかんでも恐がってれば体裁を保てるような雰囲気に嫌気がさしていたので行きました、とか、現地では飛行機の中と地下鉄を除いてマスク着用の義務らしき雰囲気など感じられなかったとかいろいろ語った。
微妙な時期だったのはそうだが、今ならばパスポートを取得し、Q-CODEの登録さえすれば行ける(それにQ-CODEは2023年7月15日から廃止になるし、更に2024年12月31日まではK-ETA免除)ので、ぜひチャレンジしていただきたいと思っている。

韓国に行ってみたい願望はあったが、具体的にいつか絶対行くと思ったのはたぶんこの時だろう。
その後コロナ禍となり外国に行けなくなってから、韓国学校や朝鮮学校や在日朝鮮人についていろいろな人と話したり、内田樹編『街場の日韓論』などの本を読んだりするうちに、ネット上に溢れる韓国観、韓国の日本観の一定のパターンにうんざりし、たとえ現地でどんな結果が待っていようが、早めに韓国には行っておきたくなった。
またコロナ禍ゆえに一人で奈良に何度も足を運んで遺跡めぐりをしていたことが、いつか百済と新羅の地に行ってみたいという思いに拍車をかけた。
それに2022年の夏の台風のことやコロナ禍で、自分の中で湧き起こった閉塞感をどうにかしたく、衝動的にとにかく日本以外のどこかに飛び出したいというのも大きな動機だった。なんだかんだでこれが直接的な一番大きい動機だったかも(笑)。
なにはともあれ現地に行ってみて心理的にスッキリしたと思う。旅のなかで後悔というか悔しいなと思っていることもあるが、それは自業自得というか身から出た錆なので、今更どうしようもない。
とくに、食事の時間のかけかたが少ないのは悔しい。食事を軽んじていたわけではないが、一人旅だと食事をおろそかにするクセは今回も直らなかった。
ネット上の記事や動画で見られる食レポは改めてすごいなと思う。腹が減っては歩き回れないし、せっかく摂る食事を充実したものにしたい気持ちはあるのだが、あれ食べたいこれ食べたいと思ったなら必ず目的の店に行くぐらいの気概をこれからは持ちたく思う。
しかし、決して同じ旅行体験を再び味わうことはできない、一事が万事だったという点で今回の旅行もすばらしかった。振り返ってみれば自分の軽い気持ちでの決断や誤判断や無知や未経験が、かえって良い方向に転んだことの多い旅行だったという気もする。
大田市でバスを乗り過ごさなければ、遅れて到着した扶余での宿のレセプションの婦人の日本語での応対がとてもありがたく感じるようなことはなかったし、濃霧にもかかわらず扶蘇山に登らなければあの朝の木漏れ日と雲海を目にすることはできなかったし、それらはそもそも扶余を割り込ませなければできなかった体験だった。
夜に慶州に到着するような移動プランになってしまったことで、ゲストハウスでのすばらしい出会いがあったし、バス停を間違えて下車しなければ晴れ間の覗いた仏国寺の塔を目にすることができなかった。また、婦人が押し付けてきた熱々の栗を味わえなかったし、バスの待ち時間にドイツ人男性と語り合えなかったし、昼食を食べ過ぎたことで散策がゆっくり過ぎるものにならなければ、汶湖社の解説板をじっくり見ることはなかった。欲張って夜の月精橋に無理して行っていたら宿泊客の女性の誕生日を一緒に祝うことはできず、かつ年配の男性に片言ハングルで話そうとしなかったし、そのときのスタッフの青年の手料理(夕飯)をごちそうになることもなかった。
ドミトリーの同部屋の彼らやドイツ人男性からの影響が無ければ良洞村に行く決断もなかったし、昼食のフードコートでの親切もなかった。
釜山到着が大幅に早くならなかったなら宿の近くのガイドブックに載っている店で手堅く夕食を済ませそれでは味気ないものになっていたろうし、地下鉄に乗ってまで行った富平カントン市場の地元の人が味わうチヂミ店でニラチヂミと副菜とマッコリを味わえなかった。市場に行かなければ韓国での外食はやっぱり数人単位で焼肉や海鮮料理でコンロや丸テーブルを囲むスタイルが多いことを韓国の食文化として目にし考えることができなかった。宿に戻るのが夜じゃなかったなら、ウズベキスタンの男性が宿に到着してすぐの話しかけやすいタイミングでの会話の機会はなかっただろう。
運命論ならぬ結果論でそうなったといわれればそれまでだが、どれもが初めての韓国旅行の私にとっての万事だ。

扶余と慶州と釜山を訪れた実質4日間の旅行を紹介するのに8ヶ月かかりました。
編集のやり方次第では10回分の記事でぴっちりとした短い文章で要領を得たものになっていたかもしれませんが、ここまで読んでくださった方々には改めて感謝申し上げます。
弊ブログで触れた主な交通機関のチケット料金は2022年10月下旬のものであることを改めておことわりしておきます。
あと言葉のことですが、記事で触れているほど私は現地で韓国語を使ったろうか、また現地の人の言うことを聞き取れていたか、と少し疑ってしまっていますし、現地の人の言うことを理解できたように脚色してしまいたくなる気持ちも正直なところあります。自分を卑下するようですが、とくに現地の人とハングルでおしゃべりした時の私のカタカナ韓国語はきちんと伝わっていたかどうか怪しいと思います。
カタカナで記した韓国語については不正確なものもあるでしょうし、また現地に置かれている解説板の英語で書かれている説明文も誤訳している可能性もありますので、明らかな誤りがあればぜひご指摘をお願いいたします。


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帰国  


始発は5:26だった

朝5時台の始発の地下鉄に乗るために朝4:30に起床し、顔を洗って忘れ物がないか確認し、ウズベキスタン人の彼といっしょのタイミングでチェックアウトした。До свидания(ダスヴィダーニャ、さようなら)と挨拶し、ゲストハウスの階段を下りた。






始発の地下鉄も結構人が乗っていた。軽電鉄への乗り換え駅に着くとホームに人が増えた。朝8時台の飛行機に乗るにはやっぱりこの時間に飛行場に向かうわな、と思った。



軽電鉄の空港駅に着き改札でカードをピッとやったら、私の計算違いのせいもあって残高が1,400ウォンと表示された。初日に細かい札にしてもらえませんか?と頼めばよかったCUに立ち寄り、電子マネーで1,300ウォンのコーヒーナッツを1袋買った。残高は100ウォンになった。



6時に金海空港に到着した。チェックインの列に並ぶと日本語が聞こえ出した。
カウンターの女性がきれいな日本語で対応してくれ手続きをしてくれた。(まだ接種証明書が無ければ搭乗できない頃だったので)このとき、初めてワクチン接種証明書を提示した。日本国内で全く出番のなかった証明書が役立つ瞬間って訪れるんだ、と思った。
セキュリティを通過し出発ロビーにはカフェやパン屋がいくつかあったので、パン屋で朝食を買った。12,000ウォン弱の朝食だったが、現金で支払うと100ウォン硬貨1枚だけ残った。交通系ICカードの残高、現金ともに100ウォン残り、両替分はほぼ使い切ったといえるのではと思う。
具の多いホットドッグを温めてくれるサービスを頼んだら、どのタイミングで温かくなったものが出されるかピンと来なく、少し店員に気を遣わせてしまった。朝日をまぶしく感じながら朝食を摂った。

搭乗は淡々としたものだった。機内では初日の金海空港着陸時の「窓から空港の施設を撮影することは禁止されています」の同じアナウンスが流れた。





飛行機が着陸し、機内から出るまでの通路での行列で、日本語の旅行会話を勉強している韓国人男女の声が聞こえてきて微笑ましかった。


関空には10時に着陸した。

パスポートコントロールと税関の前に検疫があったが、この行列だった。日本出発前にMY SOSの事前登録はきちんと済ませていたこともあり、なにがファストトラックだよ、とボヤいた。接種証明書をチェックする担当の方々は大変そうだった。旅の疲れで喉が痛く声が少し変だったので、別室に連れていかれるかどうかハラハラしていた。
到着ロビーに出るまで50分かかった。

(旅行記としてはこれで終わりですが、あとがきみたいなものもあります。)


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