デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




富士山に跳ね返されてから一週間ぐらい後に、再びいつものように運動がてら大文字山に登ろうとした。山で出会った方々で富士についてアドバイスをくれた方々にお礼と報告を兼ねて登ったのだが、登り口で靴を履き替えていると、外国人の若い人が通りがかって
「ダイモンジ?」
と私に声をかけてきた。私は

You can't miss it.(すぐわかります)

と方向を指さしたつもりだったが、can'tがcanと彼には聞こえたようだった。ちょっと変な顔をされたが、まぁ間違いないと思ってくれたのか、彼は先に上がって行った。
靴を履き替えた後、私は途中で彼を追い抜き登山道を先に上がっていこうとすると、今度は彼が「あなたの行く道で合ってるの?」といったようなことを訊いてきたので

I swear.(断言します)

と言ってしまったが、ひょっとすると can が彼の中でひっかかっているのかもしれぬとその時に気づいた。
私が先に登り彼が後からついて来る形で登った。ここでは二つの表現を英語で書いているが、実際のところ「かろうじて」思い出したに過ぎないし、火床についたらどのように声をかけようかと少ない語彙を頭の中でひねりまわしていた。
あれよあれよという間に火床に着いた。後から登ってきた彼に私は風景を示し

You got it.(そのとおり)

と言ってしまった(笑)。なぜに?と未だに思うのだが、私の中では「This is it!(これだ!)」のつもりだったのだ。やはり英語での根本的な何か、情感としての理解があやふやだったせいに他ならない。まぁ、でもきっと彼もこの風景をすばらしいと思ったことだろうから、彼が言葉にする前に「そのとおり」と言い放って間違いはないと、自分をなぐさめる。
しばらく休憩し、互いに写真を撮りあって「ダイモンジには(頂上までの)続きがあるの?」と訊ねられたので、「15分、私についてきて」と返事し、再び二人で頂上を目指した。
頂上では少し彼も疲れたようだった。ベンチに寝転がり呼吸を整えていたが、私は時間的に先に下りねばならなかった。起き上がった彼に「大文字山 466m」のプレートを教え、

Have a nice trip.

と言い握手して先に行くという身振りで意思を示した。彼もそのあたりは分かってくれたようだった。(あとで調べてみると「I'm off」とか「I'm leaving」とか便利な言葉があるようだ。いつか使えるかもしれない(笑))



再び火床まで下りてきた。富士山についてのアドバイスをくれた方々も登ってきていて、お礼と報告をし、談笑した後、下山した。
すると登山道が終わったあたりで、彼がいつの間にか私に追いついた。思わず「あれ? 追いつかれたがな(笑)」と日本語で言ってしまった。
英語は苦手だが銀閣寺の傍まで片言ながら話しながら下りた。彼は大阪を三日・京都を二日、奈良を一日と関西を回る予定で大阪は楽しかった、奈良は明日に行く、日本語は全く話せないが日本語はすばらしいと、僕はアルゼンチン出身だ、と教えてくれた。
アルゼンチンと言えばスペイン語じゃんか、オーラ・ブエノス・ディーアス、アディオス、ぐらいなら知ってるぞと言わんばかりに、日本語のあいさつとスペイン語のあいさつについて教えあいが始まった。ブエナ・スエルテ(幸運を!)なんて聞いたのは私にとっては久しぶりだったし、彼には発音がおかしかったかもしれないが日本人からスペイン語のあいさつを聞くとは思いもしなかったようで、とても喜んでいた。
銀閣寺の横で別れ際、両手を合わせておじぎのポーズをとりながら彼は英語で何か私に伝えたいようだったが、私に聞き取る力がなくちょっと残念そうな表情を見せた。ひょっとすると「感謝、って日本語でなんというのか?」と訊いていたのかもしれないが、私は「君の宗教は何?」と訊いている様に思い、とんちんかんな答えを伝えたように思う。
「アディオス、サヨナラ」
とにこやかに彼は言い、先に歩いていった。私は止めていた自転車に乗って漕ぎ出し、彼の姿が近づいてきたときに「ひょっとして、"ありがとう"のことか?」と思った。そうする間に歩いている彼を追い越しざま、私は言った。

「グラッツィエ! アディオス!」

なんということだ! グラッツィエはイタリア語で「ありがとう!」である。スペイン語は「グラシアス!」だ。最後の最後で台無し(笑)。
とはいえ、イタリア語もスペイン語もラテン語を語源にする言葉なので意味は通じるだろうから、まぁいいやと思うようにした。彼は後ろからもう一度「サヨナラ!」と手を振ってくれた。
今なら小学校の英語教育で習う言葉でも、この日の登山の二時間の間、自分の中から捻り出すのは大変だった。しかし心からの情感で発そうとしたり、発した言葉なら印象に残る。なんとかの一つ覚えのようになるだろうが、もしまたこういった機会があったら自分の中で学習・修正した言葉を情感を忘れずに発したい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )