デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



標高2000m


標高2500mを通過し、登り始めて4時間経った頃だった。いくら呼吸を整えようとしても過呼吸気味になり、それがなかなかおさまらなくなった。そして嗚咽が始まった。
出発前に高山病のことを調べて行ったが、まさかその典型?と考えざるを得なかった。しばらくじっとして酸素缶から酸素を吸ったがそれでも気休めにすらならない。
後から登ってきた人が、「バファリン飲みますか?」と親切に言ってくれた。お言葉に甘えて一錠いただいた。しかし体調はよくならない。
今となっては当たり前のことに思えるが「高山病はその症状が現われた地点では決してよくはならない」のだ。今一度山頂を見上げたが、遠いようで近いのでなく、近いようで遠い印象の方が増してゆくのだった。
バファリンをくれた方にお礼を言って、残念ですが下りますと伝えた。
それからは一歩一歩ゆっくりと、登ってきた道を立ち止まる回数を増やして下りていった。これから登ろうとする登山者たちとすれ違い、お気をつけて!と声をかけた。
下山には3時間ほどかけた。登山道と下山道が交差するあたりで、だいぶ体が楽になった。なぜだが「標高があがると気温が下がり空気が薄くなったのは、私だけ」といった負け惜しみめいたようなことも思ったのを覚えている。
大砂走りの道も、走らずゆっくり下った。気温がだんだん上がっていくのが体感できた。こんなことならまだ行けるかも、とか正直思ったが、死の一歩手前でなく50歩手前くらいにはなったのかもしれぬと考えると、やっぱり恐ろしかった。
下山しているのは私だけだったが、周りは暗闇の静寂以外の何ものでもなかった。ただ自分の息遣いと足音が聞こえるだけだった。惨めな気持ちになって、ちょっと腰を下ろしたとき、ふと見上げると空一面に空気の澄んだ空ならではの星空が広がっていた。この標高で靄のない状態で見る星々はただただ美しかった。
まぁ、来てよかったんじゃないの?いろんな意味で、と思った。富士の裾野の向こうに見える町の光が近づいてきた。

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