デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



坂出祥伸著『日本と道教文化』(角川選書)読了。

加地伸行氏の『儒教とは何か』を読んでからというもの、日本人の寺社に詣でる姿勢というか態度が儒教や仏教ではなく、むしろ道教の現世利益的な神々を信仰する態度に近いのではないかと思い始めてから、小林正美氏と奈良行博氏の本を読み、そして今回坂出氏の作品を手にするのは必然だったのかもしれない。
とはいえ、昨年の11月ぐらいから読んでいたのだが、「反知性主義」をテーマにした本や、魯迅作品や『源氏物語』を読んでいるうちにおざなりになってしまっていた。誤解なきように書いておくが、『日本と道教文化』はけっしておもしろくない内容ではなく、日本に道教の慣習や習俗が自然に入り込んでいることを説明してくれているというむしろ興味深い本である。その慣習や習俗は沖縄や中華街に見られる「中国色ゆたかなもの」だけに留まらない。
本の中に平安期に将来した真言密教自体に道教の呪術や呪符が取り入れられたところがあるとあったが、的を射ているように思う。隋唐の時代の中国は道教が隆盛を極めていて大乗仏教のなかの真言密教は呪力で道教と競ったりもしていた。逆に言えば密教は道教の影響を受けていた、ゆえに空海の学んだ真言密教には道教の要素が混じっていて、日本人が昔から日本の神社や寺に詣でたときに何気なく行っている所作やお坊さんの作法に、実は道教の姿をちらちらと見出せるのである。
ほか日本に伝わる道教的習俗には妙見信仰や大将軍信仰、雨乞い、地鎮儀礼、満中陰、六曜説・鬼門説、十二直説、道教期限の占いでは「おみくじ」や「おふだ」など、道教の影響が見られる日本的なものは多岐にわたる。
これからも、日本国内のいろいろな寺社にお参りに行くだろうが、その際はそこに祭られているものをより注意深く見てみたく思う。中国から伝わったものがいかに変化していまの形となっているのか少しでも分かったら、また別の着眼点とより広い視野を得れるように思えるのである。

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