憧憬、大艦巨砲主義w

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モノの魂。

2006-10-29 19:19:19 | ロケットスリー
 

武者小路実篤が言ってた。30年位前の記憶なので、意解だけど。
「ココロはドコに発生するのか。分子や化合物がココロや魂を造るのか。この、ココロの震えは、ただの化学反応に過ぎないのか。」

ほぼ同義の問いかけに、「死と生」があると思うが、これは、そのうち。

オレにとってモノとは、工業製品か、手工芸品だ。ほぼ、生命由来の食品とは別のカテゴリーだ。モノにも生命由来のものがあろうかと思うがま、ソレも大概手工芸品のカテゴリーだ。

モノは、ほぼ、その全てが原材料を加工して製造されているだけの道具(鑑賞対象も、ココでは鑑賞の道具)だ。
製作者の意図や、想いはソコにはあろうかと思うが、手にする者がソレをどう受け取るかは、受け手に一任されている。

オレは、少し変わった性癖があって、家電製品の樹脂部品ひとつやバッタもんひとつ取っても「ドコカで誰かが一所懸命、コンナのモノにしてるんやな~」って感慨にふけったりする。
一瞬で破り捨てる包装紙イチマイのデザインだって、一瞬のやっつけで出来ている訳ではないだろう。手土産のケーキをくくっているヒモ一本、adidasじゃなくってadldasのクツだって、その意図や動機はどうあれ、おそらく、誰かがマジメに造っているのだ。

そして、造り手がどう想いを込めようが、手間をかけようが購入者が対価を払って受け取った時点で、受け手に全ては委ねられる。
雨ざらしにしようが、貸し金庫に納めようが、美術館に展示しようが、毎日身に付けようが、全て受け手が決めることだ。

オレの手元には、もう、10年以上(何年かわからないけど)使い続けている道具にIMCOのライターがある。以前にもここで書いたのだが、この、ブリキと脱脂綿でできた道具は、オレの人生を10年以上見つめてきた。

惚れたオンナに相手にされず悔しかったことや、その直後に家内に出会った事や、長男が生まれた時に職場を敵前逃亡して病院に直行したことや、夜中に破水した家内を病院に連れて行って次男が生まれたことや、ロケⅢ契約した日のことやら、なんやかんや家の外で起こった事には、ほぼ100%立ち会っている。

そう、モノに魂を込めるのは、造った者では、断じて、ない。
そのモノを使う者、受け取る者が、モノに魂を宿すのだ。
その魂は、モノがその者と共にある限り、生き続けると思う。

ロケⅢも魂が、宿っている。
オレの魂だ。製作者がどこにあっても、何者でも関係ない。
コイツにはオレの魂が宿り、ソレが、オレを「あちら側」に誘うのだ。

そして、その魂は、オレを知る者が、そのモノを受け継ぐ時、共に受け継がれる、と信じたい。
今、オレが死んで、家内がロケⅢを受け継ぐなら、ロケⅢに宿すオレの魂は、家内を通じてロケⅢと共にセガレ共が受け継ぐと思い込みたい。
反面、そのまま、誰かの手に渡って新たな魂を吹き込まれるのも、まぁ、悪くないような気もする。

モノには、魂が宿る。
その息吹を吹き込むのは、オレたちなのだ。
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フェティッシュ。

2006-10-29 03:06:53 | バイク四方山
 

フェティッシュっつーと、ヘンな行為に使うティッシュのようだが、違う。
コケティッシュは一部の男性の間で、使うかも知れんが。

「フェチ」なんてカンタンに使う言葉だが、旧世代の心理学カブレのオレとしては、もそっと、解釈が違う。んでも、自分の言葉ではうまく説明できない。

で、辞書によると。
フェティッシュ:【呪物】呪力や霊験があるとされる物。
フェティシズム:【物神崇拝】人造物や自然物に神秘的価値を認めて、信仰・儀礼の対象とする呪術的・宗教的態度。

バイクはタダの機械であって、対価によって得られる工業製品に過ぎない。
それには、呪力や霊験もないし、我々は神秘的価値など微塵も認識したりは、しない。樹脂と金属によって構成され、時間と燃料と償却をもって距離を移動する、ただの道具なのだ。

ただし。
この機械の使用、維持、調律、加工などを通じてイロイロな経験をする。
バイクと対話することもあるし、格闘することもあるし、内なる自分に向き合うこともあるし、同じ嗜好を志向する同輩を得たりもする。そんな経過を得て、自己同一性を確認したり、また、自分自身が革新したりする。

そして、この機械とは、なかなか切れないつながりが維持されていく。
バイクが(乗ることのできる時間が少なくても)手元にない生活がいかに味気ないものなのか知るヒトは多いと思う。
また、そんな時は街で走り回るライダーが、たとえ、ピザの宅配であってもうらやましく思えたりするものだ。

また、バイクを前に、タムロったり、ぼけっとタバコをふかしたり、共にあるだけで嬉しかったりする。
さらに、コレがまた、実に美しいなんて思えてきたりもする。

そう、第三者的には、バイクはフェティッシュそのものであり、我々はフェティシズムそのものであるのだ。

オレは、バイクはタダの工業製品と思っているのに。
んでも、ロケⅢのリアビュー、カッチョエエ~っ♡
コメント (3)
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