とあるバイク友達が、病気のため、一旦、バイクを降りるという。
若ぇモンの頃、テントのソバに腰掛けて、コーヒーをすすりながら、20年後における自分のありように想い馳せるコトがあった。
ソノありようは、オレにとって「何となく」とか、「ぼんやり」とした曖昧模糊とした感覚的な素描でしかなかった。
示唆、といってもいいだろう。
ソノ頃のオレは、自分自身にできることと、できないことのラインが現実を伴って自らに迫り来ることを予想だにしていなかった。
ま、人並み以上の焦燥も煩悶も努力もない、全くのバカだった、ってコトなんですが(笑)。
ワインディングを攻め込む中にあって、あと0.5秒のブレーキング遅延ができるかできないかに等しい事実であり、かつ、稚拙な技術の枠内ではソレが容易なコトであっても、その枠外では相応以上の修練が必要な領域であるという現実だ。
この事実と現実は醸成によって、示唆を具象化していく。
20年先にある自分のありようの輪郭が、AFでない一眼レフの焦点を少しづつあわせていくように、近づいてくる。
そう、オレの場合はバイクを通して、だ。
お仕事とかでないトコが、少ーし、情けないが、週末にパチンコや競馬競輪で時間を浪費するよりはマシだろう。
あ、あんまし、変わらねーか。レベル的には(笑)。
GUZZLEの紋章は、その意味でオレを拘束し続ける。
今のオレにとって、他の立ち位置は、なさそうだ。
オレは、機体と人命を尊重する。
オレは、「その他大勢」というカテゴリーに属する脆弱な個人でしかない。
しかし。
たやすくヤれると思ったら、そうはイかないぜ。
そして、バイクに乗っていなくったって、そのままなのだ。
別に、変わりゃぁ、しない。たぶん。
だから、これからも、バイク友達でいいよね(笑)。