ずっと予感がしていて、仲間に気をつけるように言っていた私ですが、とうとうまた仕事を失なわなければならない状況になってしましました。
なんで?
という気持ちは一切なく、結構速かったな、という落胆した気持ち。
会議を真面目に聞いていれば、今どんな状況になっているかよく理解できます。
ヒトの脳というのは様々な対応をして動きますが、大きな変化を嫌うようで、その働きにより恐怖の予感から遠ざけようとする。
いつまでも続くものではないと覚悟はできていたけど、こうなってみると前がない不安は避けられないですね。
惨めとは思っていないけど、好きな仕事を失うのが嫌なんです。
仕事を失ってやがて、何も誇れることのない、ただ過去の私しか誇りが持てなくなってしまっている自分になり替わるのが恐ろしい。
よく考えたものと今さながら思いますが、昨年の8月の末に私は、もしその時が来たらと、来なくても有給休暇をロスしないベストな計画で、航空機を予約してあるんですよね。
でもね。
予約しておいてやっぱり良かった、というシナリオのはずなのですが、こうなってみるとそうじゃなかった。
こんな落ち込んだ気持ちで、あまり何もしたくないのに1人旅行なんて楽しめる?と。
とりあえず計画を立てながら、ため息がでてくるんですね。
本当は行きたいの?行きたくないの?と聞かれたら、今の状況では、行きたくないんです。
キャンセル料はかかりますが、今ならそれができます。
行かない選択をすることの損失も考えてしまうんです。
ただ廃人のように家に引きこもってしまうかもしれない。
心の整理がされないまま求職活動して、空回りするばかりかもしれない。
ジムに行って運動して満足の毎日になるかもしれない。
それなら行くことのリスクを考えます。
お金を使う、レンタカーで事故るかもしれない、先がないことにとらわれ過ぎて楽しめないかもしれない。
あなりよくないコンディションだったら、レンタカーをやめて公共機関と歩きで移動すればよいだけです。
そもそも何も失うものなんてないんじゃないの?と思えてきました。
命ある。体動く。考えることもできる。
家族ある。猫たちいる。家ある。車ある。
仕事も選ばなかったら、定期的にオファーくる。
じゃあ、前に進んでみようと思えてきました。
本当は四国遍路の旅の予定でしたが、西国三十三観音巡礼の続きをしようと思います。
まだ計画中ですが、宿坊でゆっくりしたり、なにか美味しいものを食べて、心をリセットしてこようと思います。
きっと人生の節目なんでしょうね。
そういう時間も大事にしていかないと、ですね。
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