山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

土畑鉱山

2015年11月03日 | ドライブ

湯川温泉へと向かう途中、「土畑鉱山」という廃墟らしい鉱山跡があります。

 

私有地のため敷地内への立ち入りは禁止です。

土畑鉱山の歴史 を調べてみました。 

明治33年 照井岩次郎氏畑平鉱床上部露頭を発見 その後、福井久右エ門氏が譲り受け 金、銀鉱を採掘、小規模の揚鉱法によって製錬するも収支償わず休山。

 大正4年 高橋喜一郎氏探鉱の結果畑平鉱床の銅鉱床に逢着 専ら銅鉱を採掘売鉱した。

大正5年 田中鉱業株式会社がこれを買収して事業を拡張した。

大正10年 鷲の巣鉱山を合併した。

昭和8年 上の野鉱床を開発、出鉱を開始した。

昭和25年 上の野鉱床隣接の翁沢鉱山並びに鷲の巣鉱山付近の甲子鉱山を買収した。

昭和28年 重液選鉱の操業を開始した。

昭和35年 本仁王沢に新らしい積場が完成した。

昭和40年 破砕鉱場、磨鉱工場及び浮選工場の改造工事完成。重液選鉱の操業を休止した。

昭和48年 亜鉛精鉱分別操業を開始した。 鷲の巣珪た。

昭和51年 坑内採掘中止、選鉱場休転と大縮少した。 沈殿銅採取。 鷲の巣珪酸鉱露天掘存続、現在に至る。

 

もっと深く調べていくと湯川温泉「四季彩の宿ふる里」(経営:糸平興産株式会社)のHPにプロローグとして「土畑鉱山」を掲載されています。

 

大正2年 二代目・田中平八と田中銀之助により、田中鉱業株式会社が設立。

本業に邁進するのはもちろん、不動産・レジャー・スポーツなど各種新規事業を設立。

かつて「土畑鉱山」には、3,000人以上の従業員とその家族が暮らし、昭和51年の閉山に伴い多くの従業員が鉱山を去っていきました。

私どもは土畑鉱山に古くから湧き出る良質な温泉を利用して温泉旅館「四季彩の宿ふる里」を営業いたしております。

 

ということは、大正2年に田中平八と田中銀之助により、田中鉱業株式会社が設立され、大正5年に「土畑鉱山」を買収して事業を拡張したが、鉱山は昭和51年に閉山し、現在その鉱山から湧出する温泉で、湯川温泉「四季彩の宿ふる里」を経営しているということになりますね。

山形の銀山温泉も鉱山跡あるし、鉱山と温泉って密接な関係があるのかもしれませんね。

 



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