出羽三山詣りを調べていくうち、山形県鶴岡市の金峯山(きんぼうざん・標高458m)に鎮座する「金峯神社(きんぼう じんじゃ)」に辿り着きました。
明治の神仏分離までは金峯山蔵王権現と称し、修験道場となっていたそうです。
金峯神社・中の宮。
ここまでは車で行けるようになっていました。
金峯山山頂に本殿があり、金峯山全域に社殿が点在するそうです。
青龍寺あたりの駐車スペースに車を停めて山頂まで歩く方も、ゆた川温泉の由豆佐売神社を参拝後、金峯山に登るコースも、金峰神社中の宮(社務所)で入山届を出して登山するコースなどがあるようです。
中の宮の傍にある「閼伽井(あかい)の清水」。
この湧き水は、慈覚大師が開山して以来、ずっと岩間から湧き続けているそうで、山の神のパワーが宿る清水とも言われているそうです。
とても冷たくて、清らかなエネルギーを感じました。
帰りにペットボトルなどに汲んで帰りました。
さて、本殿へ向かってみましょう。
石畳に「昭和」の文字を見つけました!
樹齢400年の夫婦杉。
幽玄な雰囲気が周辺に立ち込めています。
御祭神は、大国主命、少名彦命、安閑天皇、事代主命。
由緒
第38代天智天皇の10年(670)役の小角の開基といわれ、金剛蔵王権現を祀る。
大同年間に山頂に本殿を創建、蓮華峯(八葉山)と称し、修験道の霊地として多くの崇敬厚く、延暦20年坂上田村磨呂東征の時戦勝を祈願し、度々の奇瑞があり、勝利を得たと伝えられる。
第72代白河天皇の承暦年間に大和国宇多の城主丹波の守盛宗がこの地に移り、自分の氏神であった吉野の金峯山から分霊を勧請し、金峯蔵王権現を祀り山名を金峯山と改む。
大国次郎秀衡の代になって久安6年(1150)飛騨の工匠を招き、金峯山本殿を造営する。
応永年間楠正成の子正儀の長子楠正勝傑堂能勝と号し、当地金峯山麓(高坂)に洞春院を建立し、奉持せる後醍醐天皇の御宸筆蔵王大権現の尊軸を奉安する。
更に慶長13年最上義光は志村伊豆守光安、下對馬守秀久に命じ本殿を大修復し、社領寄進する。降って歴代酒井藩主も社殿を修理し祈願所とした。
明治9年県社に列し、昭和16年に国の名勝地に指定、昭和27年別表社となり現在に至る。
その日は「永代講祭り」がとりおこなわれ、祭りが終わらないとご祈祷が受けられないとのことで、暫く祭りを見ていました。
始終無言の作法でした。
お祭りだけに、とちもちなどを販売するテントが張られていました。
「旧あさひ町で作ったとちもちです」とのことで、ヨモギとミックスしたパックを買いました。
ヨモギ餅は今まで食べたことがないような濃厚なヨモギの味わいで、しっかりとした餅の食感があって印象に残りました。
駐車場を少し歩くと、展望スペースがありました。
あれは、鳥海山なんですよね。
さて、金峰神社で特筆すべきは、お山のパワーを感じるスポットでもありますが、神宝として、禁酒の「かめ」と大盃があるのです。
「かめ」は金峰神社の最初の鳥居のそばの青龍寺さんのすぐ近くにありました。
修験道さながらの雰囲気。
歴史のなかに今も息づいているのですね。
なんか、色香がありますね。
言葉にすると「穢れない山の祈り」とでもいうのでしょうか。
ここで瞑想などしたならば、ほんのわずかばかり悟りの尻尾を掴んだように感じる、 そんな空気感でした。
禁酒のかめ。
弘化四年(1849年)猩々講(酒の好きな人。大酒飲み)の人達が奉納したそうです。
酒の飲み過ぎ、酒乱、アルコール中毒という様な、酒ぐせの悪い人を癒すため祈祷をして「かめ」に封印。
霊験あらたか(神仏による効験が明らかに表れるさま。神仏が著しく感応するさま)だそうなので、金峰神社の社務所のかたに教えて頂いた通り「お酒は飲みすぎず。お酒は楽しく飲めますように」とお祈りしました。
かめをよく観察すると、猩々講の方の名前が彫られています。
「私は酒欲がすごいんです」と名だししているようなもので、現代風にいえばカミングアウトになるのかな?
勇気いると思います。
ブッダは人間の「求める心」が七つに分けられると発見し、食欲、性欲、睡眠欲の人間の三大欲求のほかに、生存欲、怠惰欲、感楽欲、承認欲があると説いたそうです。
近代になって生活も変化し、私はそこに「依存欲」というものもあるのではないか、と考えています。
人によってですが、昨今生活の中でやめられないもの、って多くありませんか?
嗜好によりますが、お酒だったり、ゲームだったり、ギャンブル、ホスト通い・・・。
もっともっとあると思います。
それが行き過ぎると、本来の生活意欲が薄れ、人生がかき乱されるイメージです。
ヒトに生まれたからこそ「四苦八苦」があります。
欲も苦も、生きているからこそ得られる醍醐味ですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます