第3番の奥の院「愛染院」から、途中、京料理の「佳居」さんで、美味しい食事で満たされすぎるほど満たされて、第3番さん「金泉寺」へ歩きます。
途中の神社に圧倒されます。
大木がスゴイ迫力です。
うわ~、私の住む町ではいつからか無くなった、ビールとか酎ハイとかの自販機。
懐かしい~~~。
来たよ、第3番金泉寺。
高野山真言宗。
本尊は釈迦如来(伝行基作)さま。
開基は、行基菩薩。
私のなかでは、四国の1番さんです。
なぜなら、1番、2番さん共に、初めて遍路の私は、般若心経をあげるのが恥ずかしくて、お作法もわからず、好奇心という不思議な動機で、お遍路が始まったからです。
3番さんで、ようやく下手でも般若心経をあげて鍛錬しないと、これ以上の巡礼は心理的に「なぜ?何のため?」の何故なぜ理論に負けそうで、蚊の鳴くような声で初めて声を出して読経をしました。
歩き遍路でしたが、四国巡礼の基本を知らないで強行したことが、恥ずかしくて情けなくて、1~4番さんの境内では、モタモタしてしまい、今思えば野暮ったい自分でしたね。
今となっては笑です。
弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られ、この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とされたそうです。
なんでもこの井戸に自分が映ると良い、との言い伝えがあります。
覗いてみると、映ってました。
もう少しは大丈夫なんだな、と思うことにします。
さて次は、2番極楽寺まで歩きます。
だいたい3kmくらい。
高野山真言宗。
本尊は阿弥陀如来(伝弘法大師)さま。
開基は行基菩薩。
弘法大師お手植えとされる「長命杉」は、樹齢1200年あまり、高さが約31メートル、周囲約6メートルもある霊木。
触れれば家内安全ばかりか、病気平癒、長寿も授かるといわれ、鳴門市の天然記念物に指定されています。
境内では、階段を上がったところに、本堂と大師堂があります。
第2番さんは、宿坊もありますよ。
その日、最後のお参りは第1番霊山寺。
四国1番霊場であり、順打ちで巡礼であれば、ここが発願地で「同行二人」の長い旅になりますね。
お寺さんの縁起では、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された、弘仁6年(815)弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされたといわれています。
その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得、大師はその光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられたそうです。
何度来ても、大らかなのに凛として、門戸がひろい霊場という印象を私は感じます。
四国霊場1番さんらしく、毎回来るたびに、何か学びがあります。
その日の歩き遍路はここで終了です。
健康でいられるから、歩けるから、たくさん四国の空気を胸にため込んで思うことは、弘法大師空海さんがその礎を築いて1200年もの長い間、四国に脈々と受け継がれてきた歴史の貴重さ。
長い歴史の間には、数々の世界戦争も起こったはず。
戦争を知らない世代の私がまず思うことは、戦後も日本各地で大地震が起きた後も、こうした文化が大事にされたこと。
四国の皆様が「お接待」などという形で来るものを拒まず、今もその文化に触れることができるのは本当に素晴らしく、まさに世界平和の考え方に寄り添っています。
歩いてみると、本当にいろいろ考えますね。
今は新コロナウィルスの問題が解決されていませんが、特効薬やワクチンができたら、また四国巡礼の文化を紡いでいきたい。
いきて、生き続けて、感謝して、がんばろ。
合掌
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