山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

四国遍路 67番大興寺

2016年12月26日 | 神社・仏閣

67番大興寺が印象に残ったのは、本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、右側に天台宗第三祖智顗を祀る天台大師堂があることでした。

仁王門にある雄渾な2の金剛力士立像は仏師として名高い運慶の作と伝えられ、像高314センチ。鎌倉初期の作、八十八ヶ所中最大とされているそうです。

大興寺は、天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられています。

戦国時代末になると、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとく焼失。

長年間(1596〜1615)に再建されたが再び焼失。

本堂は寛保元年(1741)に建立されたとされます。

現在の大興寺は真言宗の寺院ですが、往時真言二十四坊天台十二坊が甍を連ね、同じ境内で真言天台二宗が兼学したという珍しい来歴を持ち、弘法大師堂と天台大師堂の二つのお堂が残されていることに、かつての名残を感じます。

本堂には「七日燈明」といって、赤い蝋燭に願い事を書き、7日間灯し祈願するものがありました。

病気平癒、安産、良縁などのご利益があるそうです。

 天台大師堂。

弘法大師堂。

 


四国遍路 66番雲辺寺

2016年12月25日 | 神社・仏閣

66番雲辺寺は、四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所でした。

現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができます。

冬は、スキーヤーに利用されているそうです。

さて乗ってみましょう。

スタッフさんがこのロープウェイの歴史などの説明がありました。

山頂で降りると、うっすらと霧が立ち込めていました。

山頂公園や毘沙門展望台もあるようです。

雲辺寺方面へ。

道の両脇には、石像がズラリとならんでいるではありませんか!

霧も出ているし、何となく、ちょっと怖い気がします。

下のほうにもズラリと!

一体一体が同じものが無いようです。

五百羅漢とは、仏教で供養尊敬を受けるに値する 500人の人々こと。

500の石像があるなんてすごい!

真新しい山門。

立派な水堂。

大師が16歳の時、75番善通寺の建材を求めてこの地を訪れ、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立したのが雲辺寺の創建とされています。

2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたと伝えられています。

さらに弘仁9年(818・大師45歳)には、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められたそうです。

霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えたそうです。

貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなり、鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったといわれています。

 「おたのみなす」

願い事を念じながら腰掛けると、願いが叶うそうです。

回転させると、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている「マニ車」

復路もロープウェイで。

転地効果もあり、五百羅漢に圧倒された雲辺寺。

山頂の空気も清々しく、薄く霧が立ち込めて、幽玄という言葉がピッタリ合いそうです。


クリスマスパーティーニャン

2016年12月24日 | 

メリークリスマス♪

トナカイの帽子をプレゼントされたニャ!

似合うニャンか??

ヒトママとヒトパパがクリスマスの料理を作った!

猫の僕の好みはなかったけれど・・・

木箱のワインで盛り上がって楽しそうニャン♪

いじられて応じてしまう猫の僕。

はあ~、家猫なのに帽子が増えていくニャン・・・。

クリスマスは楽しく過ごすのニャ♪


四国遍路 65番三角寺

2016年12月23日 | 神社・仏閣

伊予最後の霊場である「三角寺」は、江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれた場所です。

山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所といわれています。

標高は約430m、平石山の中腹にある静かな境内です。 

 

 

大師堂。

聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられ、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れて、本尊の十一面観音像を彫造して安置。

さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたといいます。

橋を渡って本堂へ。

この不動明王が印象に強く残りました。

水に鉄分が含まれているのでしょうか、お不動様がオレンジに染まっています。

薬師堂は疣や魚の目が治るご利益があるといわれています。

本堂の手前に鳥居がありますが、時間がないので行きませんでした。

風格がある本堂、その美しさが印象的なお寺です。

三角寺は嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられています。
ですが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、本尊以外を焼失したそうです。

現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されています。

本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいるそうです。

 


ホテルルートイン新居浜

2016年12月22日 | ホテル・宿

伊予小松駅から新居浜へ。

新居浜駅のコンビニで急いで夕食を買い、ホテルルートイン新居浜の送迎バスに乗りました。

駅から離れているので、電車の到着時間に合わせて、バスが待ってくれるのです。

 

チェックインのカウンターは混んでいて、お遍路姿の私は気が引けました。

お部屋へ。

いつもの感じ。 

お風呂に行ってみましょう。

洗い場は3人分。

これもいつものルートインと同じ。

人工温泉のお風呂に入ると、すぐに温まってしまい長湯できないです。

朝食は無料ですが、おかゆがお湯に浸したご飯みたいで美味しくありませんでした。

今まで利用したルートインと比べると、品数が少なくて魅力的なおかずがなくてガッカリ。

チェックアウト後も、送迎バスが新居浜駅まで送ってくれました。

 

その日は、レンタカーを借りて、昨日の台風で行けなかったお寺もお参りしければなりません。

新居浜駅のニッポンレンタカーのスタッフさんは感じが良く、とても親切にしていただきました。

その後のお遍路で急な延長にも対応して頂き、とてもお世話になりました。