山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

100時間カレー神田店

2020年02月09日 | 

神田でカレーを食べようということになり、お店選びを夫任せにしたところ「100時間カレー」に。

本格的なスパイシーさが売りの店か、おしゃれなお店を想像していたのになぁ。。。

食券機でまずメニューを選んで、受取カウンターに渡し、出来上がると番号を呼ばれて取りに行くシステム。

このお店のこだわりは、ざっくりと次の通り。

・香味野菜と果物をひたすら炒める

・トロトロになる迄じっくりと

・混ぜ合わせながらさらに煮込む

・薬膳効果の高いスパイスを調合

・数日かけて冷温熟成

「第4回、第6回神田カレーグランプリ優勝店」というフレーズが気になって訪店チョイスに至ったとのこと。

それは、カレー激戦区の神田できになりますよね。

狭いカウンターに座りました。

男性は好きですよねぇ~、カレーとロースとんかつの組み合わせ。(940円)

三元豚を使用の手仕込みとあり、確かにお肉が柔らかくて、衣がサクリと揚がっていました。

パン粉が欧風カレーに合います。

なるほど。

私はプレーンの欧風辛口(590円)を頂きました。

プレーンは具がないので、具材に邪魔されることなくルーのおいしさがより感じられるのかな?と思いましたが、欧風カレーのカテゴリーは好みが分かれる気がします。

何かを付け足さないと、食べ進めるには味の変化がなくてつまらない。

飽きるんですよね、ルーがまったりとくどくて。

つまり、香味野菜と果物をひたすら炒め、薬膳効果の高いスパイスと合わせ具材の原型がなくなってしまうほど濃厚なルーを熟成させてできた欧風カレーに、自分の好きな具材をトッピングすることで、さらに美味しく頂けます、ということですね。

 

■100時間カレー神田店

住所 東京都千代田区内神田2-9-11 鉄鋼新聞第2ビル1F

営業時間 平日:<通し営業>11:00~21:00LO 
     土日祝:<通し営業>11:00~20:30LO 
     休日なし(※研修等でお休みの場合あり)

 


浅草地下商店街

2020年02月08日 | ドライブ

浅草寺を後にして、地下鉄銀座線に向かいます。

あ、「うんこビル」見つけ!

アサヒビールタワーに隣接するホールで、正式名称はスーパードライホール。

その存在のハイインパクトさで、「うんこビル」で十分通じますよね。

首都高を走っていても、「うんこビル」が現れると、おもわず微笑んでしまいます。

 

そんな浅草界隈には、戦後の地下街で一番古いといわれている「浅草地下商店街」があります。

地下に下ると複雑な匂いがするので、何かと歩いていくと…

ズバリ、昭和です!

お料理のいろんな匂いやら、建物の古い匂い、とても懐かしさを感じます。

飲食店も軒を並べています。

アサヒのうんこビルのそばの立地なのに、サッポロビールの看板がひときわ目立っていますね。

面白い!

なんですか、見たことない自販機発見!

近づいてみると、虫などの販売機でした。

シルクワーム(1100円)、バッタミックス(1100円)、女王ツムギアリ(1600円)???

しかも売切れ。

売れているってこと?

タガメ(1450円)は販売中のようです。

その他にも売切れは目立ちますが、イロイロな虫が販売中に。

夫が「何か買ってみようか?」と言ってきたので、「私には、どれも必要ないです」と言っておきました。

 

 


坂東三十三観音巡礼 第13番浅草寺

2020年02月07日 | 神社・仏閣

この写真、内容は2020年1月30日のものとなります。

坂東三十三観音巡礼日帰りバスツアーの翌日、公共機関で第13番浅草寺をお参りしました。

調べてみると、浅草寺は、聖観音宗の寺院です。

「雷門」で有名ですよね。

聖観音宗は、浅草寺を本山とした仏教の1宗派の総本山。

東京都内でも浅草寺は最古と言われるほど歴史は古く、1950年より前は聖観音宗ではなく天台宗に属していたそうです。

1950年以降は支院25ヵ寺、末社18舎を率いる聖観音宗の総本山となりました。

浅草寺自体は飛鳥時代の628年からその歴史が始まります。

浅草寺のホームページではこのような歴史の記載があります。

浅草寺は、1400年近い歴史をもつ観音霊場である。寺伝によると、ご本尊がお姿を現されたのは、飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝であった。
宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む檜前浜成・竹成兄弟が漁をしている最中、投網の中に一躰の像を発見した。仏像のことをよく知らなかった浜成・竹成兄弟は、像を水中に投じ、場所を変えて何度か網を打った。しかしそのたびに尊像が網にかかるばかりで、魚は捕れなかったので兄弟はこの尊像を持ち帰った。
土師中知(名前には諸説あり)という土地の長に見てもらうと、聖観世音菩薩の尊像であるとわかった。

そして翌19日の朝、里の童子たちが草でつくったお堂に、この観音さまをお祀りした。

「御名を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏さまである」と、浜成・竹成兄弟や近隣の人びとに語り聞かせた中知は、やがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。

やがて大化元年(645)、勝海上人という僧が当山に立ち寄り、観音堂を修造。

ある夜、上人の夢に観音さまが現れ、「みだりに拝するなかれ」と告げられた。以来今日まで、ご本尊を厨子(御宮殿)深く秘仏として奉安している。
平安初期の天安元年(857)、比叡山第3世天台座主慈覚大師円仁が来山し、その後浅草の地は、宗教的な聖地として次第に発展していく。

その後大地震や火災に見舞われ、数々のエピソードを経ますが、坂東に三十三観音札所が整えられたのは鎌倉時代初期。このとき、第十三番霊場となった浅草寺は、東京都内では唯一の札所となりました。

契機となったのは、源平の戦いで西上した武者たちが、西国三十三観音札所を見聞して信心を深めたから、とされているようです。

その後、武将たちの庇護を受け、浅草寺の霊験は広まるのですが、 江戸幕府時代には次第に財政難となり、元禄の観音堂大修復以後、「お手許不如意」ということで、公儀普請(幕府が費用を負担する公共事業)がなくなってしまいます。

その後の営繕は庶民の浄財によって成されることにより、浅草寺と庶民との結縁はより一層強まっていったといわれています。

仲見世が並び、巡礼という堅苦しさはなく、観光といった雰囲気です。

西国三十三観音巡礼に例えると、東の浅草寺、西の清水寺という気がしてきました。

宝蔵門には、「元版一切経(国の重要文化財)」が収蔵されているそうです。

厚労省は1月28日に開いた緊急会見で、新型コロナウイルスで日本人の感染者が初めて確認されたことを明らかにした影響と思いますが、想像以上に人が少ないなぁ、という印象がありました。
今後は旅は暫く諦めなければならない日が来る、そんな気がしながらのお参りでした。

朱に塗られた五重塔は華美で、金の相輪がまた見事な美しさです。

雷門からの拝観に1~2時間はかけたいものです。

お手水舎。

ここの天井には「墨絵の龍」(東 韶光 画)、八角形錆御影石造りの手水鉢の上に、かつて本堂裏にあった噴水に安置されていた高村光雲作の龍神像(沙竭羅龍王像)がお祀りされています。

浅草寺の本堂の前にある常香炉は、その煙を自分の身体の悪い部分に当てると良くなるといわれているそうです。

参拝前に煙を浴びると、心身のお清めにもつながるのだとか???

今までの私の観音巡礼や四国遍路では、線香を浴びるなどということをする方もおられなかったので、浅草寺独特のいわれがあるのかな、と私個人は解釈しています。

さて、ご朱印場である影向堂に入ってみましょう。

ご朱印帳は一旦預ける形でしたが、混んでなかったのですぐに渡して頂くことができました。

浅草寺では、観世音菩薩のお説法やご活躍に不断に協力されている仏さまを「影向衆」と呼び、影向堂に生れ年(干支)ごとの守り本尊八体、千手観音、虚空蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、大日如来、不動明王、阿弥陀如来をお祀りされています。

堂内は内陣と外陣に分かれ、内陣の須弥壇中央に聖観世音菩薩さま、外陣に浅草名所七福神の大黒天を祀っています。

お参りのあとは、浅草寺といえば、おみくじですよねぇ~。
100円を箱に納めた後、おみくじ箱をふって出た串の番号と同じ番号のを扉を開けて1枚いただきます。
浅草寺では「凶」の出る確率が30%といわれていますよ。
実際、数十年前に引いたとき、人生初めての「凶」をいただきショックを受けた記憶があります。
今回はいかが・・・?

よかった~、「吉」をいただきました♪

年を重ねて、少しステップアップできているのかな??

だと良いですけど。

 

 


坂東三十三観音第6番 長谷寺

2020年02月06日 | 神社・仏閣

坂東三十三観音巡礼で「長谷寺」は3つあります。

日帰りバスツアー最後のお参りは、小田原にある「飯上山 長谷寺」飯山観音です。

寺に近づくと、道が二股に分かれました。

ここでバスを下車。

少し歩くのですが、その先石段がきつめなので、足の悪い方は無理せず車内で待っててください、とのアナウンス。

ツアーだと、歩く速さがそれぞれ違うので、全体的に開きが出てきます。

読経するのは皆一緒にですので、早くお堂に着けば写真を撮ったり、お守りを見たりして最後の到着を待ちます。

なるほど、これがその石段ですね。

仁王門は工事中でした。

真言宗高野山派の寺院で、ご本尊は十一面観音像さま。

また石段!

長谷寺は、「かながわの景観50選」に選ばれているそうです。

灯籠が立ち並ぶ境内が印象的でした。

 

巡礼バスツアー最後のお寺さんでしたが、個人で車で回るのなら、さらに1~2カ寺は一日で回れたと思いました。

その日は夫婦参加なのに、隣のひとり参加のシニアの男性のお話にくどくど付き合わされて、嫌なこともありましたが、無事にお参りができました。

合掌


坂東三十三観音巡礼 第5番勝福寺

2020年02月05日 | 神社・仏閣

晴天に恵まれて、小田原の「坂東三十三観音巡礼 第5番勝福寺」にツアーバスは到着しました。

仁王門の天井を見上げると、歴史を感じます。

仁王門は宝暦8年(1758年)に造営されたもので、八脚門構造で格調の高い門です。

老朽化のため昭和38年(1963年)解体修理され、屋根も茅葺きから銅板葺に改変され、2体の仁王像が安置されています。

勝福寺は、神奈川県小田原市飯泉にある真言宗東寺派の寺院。

山号は飯泉山。本尊は「十一面観世音菩薩」、飯泉観音とも称されています。

この寺は、奈良時代765年に弓削道鏡により開創。

応永25年(1418年)に小田原城の鬼門鎮護の寺となり、寺号を「勝福寺」に改めたそうです。

お手水場は青銅水鉢と呼ばれ、青銅製で、宝永元年(1704年)の作。

龍頭船の形をしていて、船尾に十一面観音菩薩の坐像が印象的です。

境内の大イチョウは高さ30メートル、推定樹齢700年、雄の銀杏。

観音堂。

彩色が美しく、造形も素晴らしいです。

大日堂には東向きに大日如来、北向きには北向大師の2つの向拝を持つ、ちょっと変わった造りになってます。

晴天の昼下がりのその日、巡礼のはずが、まったりとした心地よい気分に包まれたのでした。