生きとし生けるもの、例外なく迎える死。
おととい(日曜日)の夕方、オケ練習から帰宅するとたまやんはトイレに辿り着くのが間に合わなくなっていたので、紙オムツを探しにホーマックへ。sssサイズなるものを購入。夜、嫌がらずに付けさせてくれた。抵抗するほどのエネルギーはもはやなかったのかも。
しっぽがちゃんと出るように作られた小さな紙オムツ、可愛かった。
もう、スポイトの水も飲まない。
翌朝(昨日)、病院へ連れて行くと、先生は姿を見た途端にため息。水分補給の点滴だけで様子を見ることに。家の室温は締め切っている所へ日差しが入っているので30度、でもたまやんの足は冷たいので順番に握って暖め続けた。
点滴のお陰か、ウンチとオシッコが出る、仕事が休みで良かった(明日からどうしよう)。
夕方、フルートの音出しを少ししてみると、寝たきりながらも動く。やっぱりフルートの音が嫌いなのだ。
ならば特に嫌いな高音が入っていない、二日前のオケ練で初めてさらったバッハの「マタイ受難曲」のキリストが死を迎えた場面の最初に演奏されるコラールを吹いてみる。
これはオケの会(後援会)の会長のIさんが二ヶ月前に亡くなったので、急きょ定期演奏会の開幕で演奏することになった曲。
それから、食事の支度をし、オケ練へ出かける用意が終わるころ、ソファーからずり落ちる。
息をしていない。
呼んでみる。
腕がはっきり動いた、息をしていないのに。
それが最期だった。
夜、私が帰宅するまでは待てないから、まるでこの時間を選んだように。
オケ練は集中出来ず、途中で帰ろうと思ったが折角たまやんが送り出してくれたのだから最後まで居ることに頑張った。
今日は連れ合いが先週から夏休みの残りを取ると言っていた日であり、帰省していた息子が夕方帰る日であり、札幌で働いている娘が休みの日だった。
娘は昨夜最終電車で帰宅。近年は家族全員が集まれるのは年に一度お正月だけになっていたが、夕べはたまやんを見ながら、全員揃っての飲み会。
たまやんのお陰だね。
凄いよたまやん、ちゃんと時間と日にちを選んで逝くんだもの。
火葬場の方に言わせると、骨太だそうでシッポの先や歯の根までしっかり残っているので、標本に出来そうだと感心された。
なんだか嬉しかったよ。
猫にも「のど仏」があるんだね。大きくてはっきりとした人型が残っていたよ。
骨壺の蓋のカーブがたまやんの頭に似ていて撫で撫でした。
水入れやトイレを置いていた場所を通るたびに長い間の習慣で見てしまう、そこにはもう何にも無いのにね…
家中の至る所に生きた証を残して逝った。
これで、ようやく敷き詰め絨毯やクロスを取り替えられるし、
お雛様も飾れるし、
もう食事へのいたずらも心配しなくて済むよ。
でも、今年の冬はちょっと寒いだろうな~。
ベッドを暖めてくれているたまやんがいないから。
気が小さくて遠出ができなかったから、今でも家の中をうろうろしているような、ソファで寝ているような、気がしてならない…
早く天国に行きなさい。
バッハのマタイ受難曲より「第62曲コラール」
いつの日か、われ死なん時、
主よ、われよりはなれたもうな。
われ死に苦しまん時、
われにみ姿をみせさせたまえ。
わが心にいたくうれう時、
汝のうけし苦悩により、
われをば恐れより
救いだしたまえ。
写真は亡くなる三日前、自分の足で日向ぼっこしにいったところ。
お気に入りの出窓へはもう上がれなくなったので、座敷の方へ。
最後の写真になりました。
9月29日18時死去。17歳。