グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

帰路

2013-06-20 07:42:55 | 中欧

現地時間18時半、飛行機に乗り込むのを待っていたかのように降り始めた雨。


トップ画像はプラハを発って約5時間後。オレンジ色は朝焼け?夕焼け?

帰りも大韓航空なので2回の食事は同じ内容、3回目の軽食は「お茶漬け」を選択。
どんなのが出てくるかと思いきや、お粥!に海苔茶漬けの素。


10時間弱で仁川(インチョン)空港に到着。なにやら行列。


千歳行き出発までの待ち時間が7時間半!うろうろするのも直ぐに限界、お茶屋やさんで一休み。

生姜とミカンのお茶(手前)、南瓜とトウモロコシのお茶。
選んだ4種類のお饅頭は親切にも切って出されました。
お茶も御菓子もほっとする美味しさ、日本が近い。

大韓航空機。


4月20日に出発した中欧の旅は今日が奇しくも丁度2ヶ月目。
撮った写真千枚以上を振り返りながら、克明に覚えている場所もあれば、紐をたぐり寄せるように思い出したりと、ここに纏めるという作業が9日間の旅を2ヶ月かけて、もう一度旅したような。
言いかえると書き終えないことには旅も終わらない気がして…それがようやく終わります。
初めての欧州は全方向に心が揺さぶられ、今だその感覚が抜けない…

蛇足。
初日、プラハ空港を出た直後、災難にあったスーツケースについて、添乗員さんが言うには「丁度入っていた旅行保険を利用して下さい、そうしない場合はチェコ語でバス会社と直接交渉になるので時間がかかるし、旅行会社を通すと二度手間になるので」とのこと。
帰国直後は超忙しくなるし、何の落ち度もないこちらがそんなことに煩わされるのが腑に落ちなかったものの、不愉快なことはさっさと済ますことに。
修理会社へ現品を送ると修理不可能と判断され、補償額は使用頻度に関係なく、購入年月日まで遡り半年毎に購入額の5%引きで支払われる。

プラハに戻った最終日、バス会社からのお詫びというシャンパンと大型板チョコが添乗員さんから渡される。
  

中欧最終食

2013-06-19 07:08:03 | 中欧




中欧で最後の食事は、グヤーシュという牛肉煮込み、スープはコンソメ、デザートはケーキ。
そして最後のチェコビールも。

ここはホテルの地下レストラン。


このホテルはなんと、元スメタナの音楽学校でした!




旧市街広場に面した、この角の建物です。


食後の自由時間はボヘミアンガラスの店に立ち寄り、お手洗いに行くと(お店のトイレは殆どが無料で綺麗)、何処でもそうだったように並びます。と後から来たご婦人が「アリガト、ジャポン?」とおっしゃる。アリガトは知ってる言葉をただ使ってみたかったのでしょう。うなずくと、ニッコリ。こちらも嬉しくなる。全行程中、アジア系外国人に間違われることが一度もなかったのが不思議、言葉は発しなくても日本人だということが分かるんですね。そして皆さん、好意的でした。

空港行きバスの乗り場まで歩く途中。

民族楽器ですね。

かたや、


プラハで最終2日間、お世話になったガイドの葛飾出身F.Tさん↓
チェコ語の勉強で1年だけ居るつもりが何年も滞在しているそう。
理由は想像した通りでした(フフ)

プラハ空港で免税手続きの窓口に連れて行ってもらうと、1グループが手続き中。そのうちの二人が何処かへ行った。
グループの後ろについて番を待ちながらお喋りしていると、いつのまにか我々の後ろに並んでいた白人女性が、険しい口調でなにやら言ってきた。
それに対してFさんは毅然と応えて、最後に「私の英語が通じているか」(ここだけ分かった)と言うと、うなずき黙った。
話しの内容はこうだ。
白人女性「あなた達が間を開けて並ぶから横入りされたじゃなの。お陰で私の番がおそくなったわ」
Fさん「横入りではなく、前のグループの仲間で元々並んでいた人が戻って来ただけ。第一、文句を言うなら、その人達に言うべきでしょう」

私は両方に感心。
波風を嫌う日本人はそんなことで一々文句を言わないし、言われたら、自分が悪くなくても間違ってなくても「ハイハイ」と言ってその場をやり過ごす。
それが大人の対応だと評価される、日本。
Fさんの言動に胸がスカッと。若い女子が治安のイマイチな異国で一人、でも貴女なら立派にやっていける!

プラハ旧市街広場へ

2013-06-18 21:00:17 | 中欧

カレル橋を背にすると見える光景↓道が曲がりくねっているのは敵国が攻めてきたときのため。

この道を歩いて旧市街広場へ向かいます。
途中の風景。


左の塔は15世紀建造の仕掛け時計。毎正時、死に神が鐘を鳴らし十二使徒が出現。 
  
ずっと向こうにティーン聖母教会の尖塔二つ。


ここで、トップ画像の新婚さんに出会う。
カメラマンのきわどく露出した部分と、花嫁さんの不機嫌さを狙った。悪趣味?

旧市街広場に到着。

17世紀ビーラー・ホラの戦いで敗れた貴族がこの広場で処刑され、首が晒されたそう。


後ろに見えるのはヤン・フスの銅像。
ヤン・フス(1369~1415.7.6)ボヘミア出身、宗教改革者、カレル大学学長、チェコ最大の英雄。
教会の腐敗をチェコ語で訴え、民衆の支持を得るが火炙りの刑に。

カレル橋から

2013-06-17 08:02:25 | 中欧

歴史トラムを降りた後はカレル橋で自由時間。
カレル4世の治世下15世紀初頭に完成。
ヴァルタヴァ川に架かった初めての橋であり、19世紀半ばまで唯一の橋。
長さ約500m、幅9、5mの石橋で、欄干両方には聖人偉人15体づつのバロック様式彫像が。


橋側から見たゴシック様式の橋塔。


橋の上は観光客でいっぱいの中、ちょっとしたお店やミュージシャンが所々に。
橋塔のすぐ側では、音源を伴奏に独奏。


ジャズ演奏。


この楽器は…

手回しオルゴール?


たゆとうヴァルタヴァ川。
チェコの人はドイツ語名モルダウ川とは決して言わないと何かで読んだことがある。
中欧はドイツ・フランス・オスマントルコ・帝政ロシアなど、他国の勢力に翻弄された長い歴史を持ちながらも、民族の誇りを失わなかった静かで確かな強さを内包する。


橋を少し進んだところで、ボロをまとって地面にひれ伏した人が居る。両手を揃えて地面に伸ばした先には空いたカップ麺の器が置いてある。
人生で初めて見る光景、何故どうしてウソでしょ、混乱して見た…
気を取り直して、また少し進むと、今度は向こうから歩いてきた、やはりボロをまとって覇気のない若い男性がごみ箱を漁るところに遭遇。
もう進めない、引き返す視界の隅に、棄てられた飲み物を口にするのが映った。
なんということ。
働く気が無いのか、働き口が無いのか、これもプラハの現実…
それでもお構いなしに観光客で賑わうカレル橋、このギャップ。
今だ思い出すたびに切ない。


歴史トラムに乗って

2013-06-16 07:48:01 | 中欧


プラハ城を後にして下った先にはトラム(電車)の停留所。
100年前のトラムを30分借り切って街を回る、ツアーならではの企画。
少し待っていると、やって来ました歴史トラム↑

因みに現在使われている車両。


運転手さん。


車掌さんも。(当時の服装のようです)


床もベンチも板張り、つり革は正に革製。


出発進行!


ドアは開けっ放しなので、停まると乗って来ちゃう人が居たり、乗り物好きのプラハっ子には憧れのトラムだそう。


手動なので、運転できる人が少ないそう。


足でペダルを踏むとチン!


街行く人がカメラを向けます。


遠くにプラハ城と聖ヴィート大聖堂の尖塔。


到着。カレル橋の橋塔前広場。


帰って行きます、綺麗ですね。

聖ヴィート大聖堂

2013-06-15 13:45:09 | 中欧

プラハ城内には美術館、博物館、おもちゃ博物館、聖イジー教会、旧王宮など、見所は沢山あるけれど、ツアーでは王宮通過後、直ぐ隣にある聖ヴィート大聖堂のみの見学に。

聖ヴィート大聖堂…チェコで最も大きく重要な教会、多くのボヘミア王が眠る。
930年創建時はロマネスク様式(円筒形)だったものの、幾度かの改築後14世紀ゴシック様式に。
その後、バロック様式に手が加えられた時代を経て19世紀には様式の調和を目指す。

19世紀に建てられたゴシック様式の2本の塔のは高さ約82メートル、カメラに収まり切れません。
トップ画像の下の部分。

入場は列を成しています。



綱が張ってあり、これ以上前に進めない位置から撮影。
   
パイプオルガンは側面の壁に設置、オルガンの響きよりもステンドグラスに重きが置かれたんですねぇ。

両サイドの壁にもステンドグラスが。

                              1921年アルフォンス・ミュシャ作
  

トップ画像の円形を内側から見ると↓

教会の中は人でぎっしり。実は撮影も大変で、この画像↑を撮るときは中欧の方と思われる年配女性達が邪魔にならないように気を使ってくださり、そしてシャッターを切った後の微笑みが嬉しかった。

大聖堂の横側。時計塔はバロック様式のまま、高さ約99メートル。

左側黄色い建物は王宮、手前の明るい円形模様の建物は観光者用トイレ、このセンスはどうなの?

このあと、トラム(電車)乗り場まで歩いて下ります。

プラハ城

2013-06-14 19:43:58 | 中欧

プラハ城前の広場に到着すると、何やら凄い人だかり…衛兵交替式の真っ最中でした。


広場のこちら側ではそれに合わせるかのような賑やかな生演奏。

ヴァイオリン、コントラバス、アコーディオン、ファゴット。(組み合わせが面白い!)

交替直後。門の両方に立っています。


今度は右手から金管隊がやって来て、演奏しないで行っちゃった。


正面から撮るのは気が引けたので。虫が顔に留まっても動かないのかなぁ。

チェコは徴兵制度があって、衛兵は選ばれた人なんですって。

この入口を潜って中庭へ。


向こう屋根に旗が揚がっているので、この日はチェコ大統領が在駐。

王宮美術館も入ってます。

中庭には井戸も。


聖ヴィート教会の尖塔が直ぐそこ。


プラハ城から市街の眺め。


プラハにつぃて、サクッと。
プラハの街は、それほど大きな被災をしなかったので古い佇まいがそのまま残っている所が多い。
9世紀半ば城郭建造開始、14世紀カレル4世の時代に現在の姿に。
12世紀に王宮建造、歴代ボヘミア王の居城だったが、やがてハプスブルク家所有となる。
14~15世紀はヨーロッパ最大のしかも最も美しいゴシック様式の街となり、現在「百塔の街」と言われる所以がここに。
15世紀、ヴァルタヴァ川を挟んで城郭側のカトリックと旧市街側のプロテスタントが神聖ローマ帝国の宗教問題で対立しフス戦争へ。
15~16世紀はプロテスタントが認められた安定期。
17世紀「白山の戦い」でチェコプロテスタント貴族が全滅、ドイツ人カトリック貴族の支配下に。
1968年民主化「プラハの春」、ソ連軍侵攻。
1989年「ビロード革命」
1993年「ビロード離婚」

ストラホフ修道院

2013-06-13 11:54:25 | 中欧

今旅行参加の動機の一つは「プラハ城を見てみたい!」。
初日のプラハは宿泊しただけ、最終2連泊した二日目、つまり欧州を離れる日にようやく観光、楽しみを焦らしに焦らされた感じ。(フフ)

ホテルから歴史地区へバスで向かうと、まもなくヴァルタヴァ川そして向こうに小さくプラハ城と教会の尖塔が。

ずっと続いた良い天気が最終日に下り坂。

まずは小高い丘の上にあるストラホフ修道院。

チェコ最古の男性修道院(12世紀初頭には宗派が現存)で、知識や勉強を重んじたために修道院としては最大の図書館を抱える。
図書館。17~18世紀に建造。

神学ホールが6万冊、哲学ホールが4万冊、高い天上まで届きそうな棚にぎっしり詰まっていて、天上にはフレスコ画。部屋全体の美しいこと。撮影が有料だったのでパスしたことをちょっと後悔。見学や撮影は部屋の入口からのみで中には入れません。
また、廊下にはちょっとしたガラスケースの中にタコやごく普通の魚の干物を展示、内陸だから珍しかったんですね。


広場を後にして、いよいよプラハ城へ歩いて向かいます。

途中の風景。




招き猫!


プラハ城が抱える教会の尖塔が見えてきました。

マイセン焼きの工房へ

2013-06-11 00:38:03 | 中欧

ドレスデンでの昼食後はマイセンへ。バスで20分ほどで街に到着。


マイセンと言えば高級磁器、その工房にお邪魔。


トップ画像は入口に掲げられている、マイセンロゴマーク「二つの剣」の変遷。

いよいよ工房へ。何作ってるの?


蓋?


オヒケーナスッテ。


絵付け。ブルーオニオン(ザクロ)が特徴。


どこか和風。


販売コーナーは目の保養だけ。(高くて高くて)



マイセン近くのエルベ川、車窓から。プラハへ約3時間かけて戻ります。

ドレスデン旧市街

2013-06-10 00:10:29 | 中欧

旧市街歴史地区を一回りするのに通った道↓ずっと向こうの丸い屋根はフラウエン教会。

この通りの途中で歌っていたこのオジサン↓を撮ると、

「写真を撮ったんだからお金を入れて!」と言う。
「じゃ、削除するわ」とカメラの画面を見せながら削除しようとすると、
「いいよ、いいよ、しかたない…」
写真撮るだけで請求されたのは後にも先にもこの人だけ。
(あっ、言葉はお互い通じてない、でも通じてる。。。)
なので、3輪タクシーが珍しくてカメラを向けると、ポーズをとってくれたお兄ちゃん、嬉しくてトップ画像に持ってきました(フフ)

人物が出たところで、もう一人。ガイドのカッチャさん。
ガイドにはとても慣れたご様子で、見習いまで付いていて凄いんだけど、日本語の発音がイマイチで、よく聞かないと何も入ってこない。。。


おひる~!

ここのレストランで。









メインはソーセージ。

今旅行ではハム・ソーセージ・ベーコンがグーでした。
この付け合わせのザワークラウト、ただのキャベツの塩漬けなんだけど発酵している分、酸味があってなかなか美味しい。ウチでも近々挑戦してみたい。

楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

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