1955年
毎日オリオンズでは二十三日大竹仁(20)=稚内高-東洋高圧砂川=外野手と正式契約したことを発表した。同選手は五尺八寸五分、二十一貫、左投左打すでに昨秋の産業対抗野球に六番打者で出場し、その柔軟な体がプロ野球の目にとまった。日本最北端稚内の出身、しかも東洋高圧砂川入社後一年間は投手をやっていたので注目されなかったが、肘の故障で打撃に専念して以来本領を発揮してきたもので二、三日前から参加した東大球場のキャンプでも長打をとばして目をみはらせた。
大竹選手談 学校を出たときある球団から誘われたが、すでに東洋高圧入社が決定していたのでダメだった。どうせ野球をやるのならばプロ野球でと思っていたところ別当監督からお話があったので会社の了解を得て契約した。伯父が大のオリオンズファンでプロに入るならオリオンズといわれていたこともあり喜んで入ったのだから大成できるよう頑張るつもりでいる。プロ野球はすきだったので機会のあるたびに見ているが、相当勉強しないとレギュラーになれないと思う。特に今まで左投手に当っていないので左投手はいやだしミラクル投手も苦手だ。
別当監督談 体がとても柔かいし力もあるから選球眼と腰から下の鍛錬ができれば大打者になる素質を十分に持っているので期待している。要は早くプロ野球になれることだ。すぐ使うかどうかはオープン戦の結果を見ないとわからないがオープン戦にはどしどし使うつもりでいる。なお背番号は「24」(従来の「24」本堂は「32」に変更)である。
毎日オリオンズでは二十三日大竹仁(20)=稚内高-東洋高圧砂川=外野手と正式契約したことを発表した。同選手は五尺八寸五分、二十一貫、左投左打すでに昨秋の産業対抗野球に六番打者で出場し、その柔軟な体がプロ野球の目にとまった。日本最北端稚内の出身、しかも東洋高圧砂川入社後一年間は投手をやっていたので注目されなかったが、肘の故障で打撃に専念して以来本領を発揮してきたもので二、三日前から参加した東大球場のキャンプでも長打をとばして目をみはらせた。
大竹選手談 学校を出たときある球団から誘われたが、すでに東洋高圧入社が決定していたのでダメだった。どうせ野球をやるのならばプロ野球でと思っていたところ別当監督からお話があったので会社の了解を得て契約した。伯父が大のオリオンズファンでプロに入るならオリオンズといわれていたこともあり喜んで入ったのだから大成できるよう頑張るつもりでいる。プロ野球はすきだったので機会のあるたびに見ているが、相当勉強しないとレギュラーになれないと思う。特に今まで左投手に当っていないので左投手はいやだしミラクル投手も苦手だ。
別当監督談 体がとても柔かいし力もあるから選球眼と腰から下の鍛錬ができれば大打者になる素質を十分に持っているので期待している。要は早くプロ野球になれることだ。すぐ使うかどうかはオープン戦の結果を見ないとわからないがオープン戦にはどしどし使うつもりでいる。なお背番号は「24」(従来の「24」本堂は「32」に変更)である。