1978年
二十四日初登場したシード校・日体荏原の左腕・長瀬正弘投手(二年)が新たに怪腕の仲間入りをした。一年生時代から「将来が楽しみな大型新人」と注目されていた同投手、この日、神宮第二球場の対都戸山戦では、一回の先頭打者から七番打者までを連続三振に切って取る快記録を作り、期待どおりの成長ぶりを示した。一㍍八一の長身から繰り出す速球が、打者のひざ元にズバリと決まり、スタンドからは「投球フォームといい、速球主体のピッチングといい、近鉄のエース鈴木にそっくり」と称賛の声しきり。試合は、味方打線が爆発して、三回までに9-0。大差が決まったところで、五回戦以降の試合日程を考慮した秋元進監督の指示でマウンドを島崎浩樹君(二年)に譲って左翼に回ったが、三イニングの投球成績は打者十人に対し奪8三振、ノーヒットと立派なもの。しかも投球数四十五のうち、カーブは三球しかなかった。「相手打者がボールになる高めの球を振ってくれたので…」という控え目な言葉とは裏腹に、投げ足りないような顔つきだった。