1997年
同じ調布リトルの出身、憧れのアラキ(荒木大輔氏)の「1」を背負うアキラ。高2夏甲子園2回戦、3年夏1回戦「ストレート(MAX144キロ)とカーブで三振を取れる投手に」
1997年
同じ調布リトルの出身、憧れのアラキ(荒木大輔氏)の「1」を背負うアキラ。高2夏甲子園2回戦、3年夏1回戦「ストレート(MAX144キロ)とカーブで三振を取れる投手に」
1980年
ドラフト外、契約金2000万、長身から投げおろす速球と、シュートが武器。九州の高校球界では、一、二を争う好投手といわれた。29センチのスパイクをはく。広島、西武と三つ巴の獲得競争だった。2、3年先の一軍入りが目標。
1981年
4度の甲子園出場を果たした東北の星。ノーコン病に泣いたが、最後の三年夏に真価をみせた。ややスリークォーター気味にでる腕からの速球にはナチュラル・シュートがかかる。「おもしろい球を投げる。まず中継ぎで使いたい」と国松二軍監督。 最近の投手には珍しく小柄。本人もカラダのないことを知っており、「速球よりも変化球。打者心理の勉強が必要」と頭脳派宣言。粘り強い性格。貴重な左腕。活躍の機会は意外と早いだろう。
1982年
昨年のルーキーでは一番速く試合に出場。敗戦処理、中継ぎという使われ方をされながらゲームに慣らし、待望のプロ初勝利もマーク。小柄で、スピードボールこそないが、ナチュラルシュートする球はなかなか打ちづらい。高校時代、甲子園のヒノキ舞台を何度も経験しており、マウンド度胸はなかなか。カーブにキレが出始め、課題とされているコントロールが身につけば勝ち星も増える。今季は貴重な左腕として、先発にもまわる。
1986年
大型左腕の渡辺政仁投手(18)は、数年後には巨人のマウンドを背負って立つ一人と期待の大きなルーキーである。大阪・北陽高出身のドラフト三位。1㍍84㌢の長身から投げおろす快速球で、高校球界有数の左腕投手と評判だった。一試合のうち、7割近くは真っすぐで押す本格派。三年生のとき、完投した17試合のうち、二ケタ三振を奪ったのが十二度もあった。担当の伊藤菊雄スカウトは「左腕で、スピードボールが何より魅力。高校出にしては、体もできている方だし、コントロールさえよくなれば、簡単に2ケタ勝利を挙げられる素材」とホレ込んでいる。「同じ左腕で、高校の先輩でもある広島の高木さんのように、キレのある球を投げるピッチャーになりたい」という渡辺。一軍入りの目標はズバリ「三年目」今年は、下半身を鍛える為、「徹底して走り込む」考えだ。
ドラフト3位、契約金3000万。北陽高先輩の高木(広島)に似たタイプ。昨年めきめき頭角を現し、伊都高戦では21奪三振をマークした。昨年は2ケタ奪三振が12度もあった。左腕なので、なんとか早く一人前にしたい投手だ。打力もよい。
1991年
出どころがわかりにくい変則フォーム、そして独特のカーブが身上だ。若手の台頭はあるものの、ベテランの味を発揮して今年こそ、一軍復帰したい。12月で三十路へ突入するが、まだまだ老け込む年齢ではない。
1980年
一昨年秋の明治神宮大会の準優勝投手。68㌔の軽量でオリーブと呼ばれ、腹筋、背筋がまだまだ弱い。だが、いったんボールを握れば素質は抜群、切れのいい球に「筋力トレーニングでバタバタやってる西尾と同一人物とは思えない」と伊藤コーチが笑う。高校(市神港高)時代の通算は練習試合を含め80勝。三年時の防御率は0.91。基礎体力をつけて、二、三年後に一軍を。
ドラフト外、契約金1500万、速球を武器とする本格派、カーブの切れもよく、高校時代に80勝もしている。
1981年
ひょろり細長い体。どこかのワルい担当記者のつけたあだ名が「オリーブ」そう、ポパイの愛人オリーブ・オイル。だがこのオリーブ、いまや北野と並びファームのエース格。ストレートにみがきがかかり、低めへのコントロールもバッチリ。「ものにしたい」といっていたカーブも、どうにか曲がるようになり、ストレートが生きるようになった。バックの援護があれば、目標の5勝も夢ではない。あとはただ、下半身に肉がほしい。
1989年
草野球からプロの世界へ飛び込んだ変わり種。プロ入りのため、元巨人・松田清さんの野球塾へも通った。努力家が軟球を硬球に持ち変え、勝負を賭ける。「真っすぐで押す!」
ドラフト外、契約金1200万。中学時代はバスケット部、高校入学後、野球部入り、大学2年のときに中退、会社勤めをしながら、草野球のエースとして楽しんだ。昨秋近鉄のテストを受けて合格。150キロの速球というが。
1990年
草野球のエースからプロのマウンドを目指したが、その壁の厚さに跳ね返されてしまった。しかし「変わり種を売り物にしたくない」と言い切る根性はなかなかのもの。自慢のストレートに磨きをかけて一軍だ。
1991年
マウンド度胸は誰にも負けない自負がある。草野球からプロを目指した男には夢がある。下半身を強化して速球勝負!コツコツ地固めしてきた。もうファームはこれまで、一軍あるのみ。草魂男が豪快に跳ぶ!!
1992年
これまではのんびりした性格が災いしてきた感がある。昨年12月に結婚して、今年は公私ともに心機一転。年齢的にも勝負の年になりそうだ。まずはしっかり走り込んで下半身のパワーアップを。
1980年
伯父さんの在原兵次氏が、元外野手で大洋に在籍したことがある血統の持ち主。今シーズンはファーム投手陣の調整役としてブルペンで努力し、目標は練習生から支配下選手登録だ。「早く投手陣のクセをマスターしてがんばりたい」と胸を張る。
1979年
長崎の後輩にあたる名門北陽(大阪)の出身。大阪地区ではちょっと知られた左腕。関西地区担当の高松スカウトが「今すぐとはいかないが、3年間じっくり育てたら面白い存在になる」と熱心に大洋入りを勧め、くどきおとした。3年後の左腕エースを狙う。
2002年
プロ入りから4年、ようやく自分の目指すスタイルをつかみ取った。切れのあるストレートとスライダー、さらにはシュートを駆使して低めへのコントロールで勝負する。助走期間はそろそろ終了。今季は一軍デビューも視野に入れたい。