1971年
渡辺は二十五歳、東海大学卒業のときに大洋の指名をけり、考え抜いた末のヤクルト入り「ここ二年のノンプロの実績から自分でプロのレベルに達したと判断してプロ入りに踏み切った」と社会人三年生らしく足下を見つめた抱負。紺のスーツに同系色のタイ。あくまで落ち着いた物腰だ。ノンプロの通算が22勝6敗「なんでも投げられます」というとおり、サイドから直球、カーブ、スライダー、シュートと多彩な球種が持ち味。「勝負ダマは?」の質問に「…」とノーコメント。徳永代表の「それは極秘だなあ」という助太刀を待つまでのタイミングを心得て、あとは笑いでごまかしてしまう、なかなか頭脳的ピッチングを身上とする渡辺らしいところを見せていた。
渡辺は二十五歳、東海大学卒業のときに大洋の指名をけり、考え抜いた末のヤクルト入り「ここ二年のノンプロの実績から自分でプロのレベルに達したと判断してプロ入りに踏み切った」と社会人三年生らしく足下を見つめた抱負。紺のスーツに同系色のタイ。あくまで落ち着いた物腰だ。ノンプロの通算が22勝6敗「なんでも投げられます」というとおり、サイドから直球、カーブ、スライダー、シュートと多彩な球種が持ち味。「勝負ダマは?」の質問に「…」とノーコメント。徳永代表の「それは極秘だなあ」という助太刀を待つまでのタイミングを心得て、あとは笑いでごまかしてしまう、なかなか頭脳的ピッチングを身上とする渡辺らしいところを見せていた。