プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

王と同世代退団選手のその後

2024-09-25 21:42:39 | 日記
1980年
巨人

上野新(福岡工高) 投 楠本玩具
伊藤芳明(中大) 投 巨人軍コーチ
藤本健作(三原高) 投
黒田能弘(北見北斗高) 投 プロゴルファー
高野初司(三次高) 投 石油スタンド経営
西野忠臣(忠海高) 投 競輪選手
塩原明(松商学園) 内 会社員
古賀寅男(岩谷堂高) 投 アルミ加工業
那須静雄(福岡工高) 内 病院勤務

阪神

柴山宗守(関学) 投 メッキ業
村山実(関大) 投 日本テレビ解説者
森光正吉(高知商) 投 不動産
岩間章泰(神戸高)投
古川啓三(法大) 捕 映画館経営
谷車明 (近畿大) 捕
高井良一男(下関商工) 内 鮮魚会社勤務

国鉄

巽一(慶大) 投 ヤクルトコーチ
北川芳男(佐原一高) 投 婦人服「山本」
横山守(岐阜工) 投 建材業
中村修一郎(松商学園) 内 原色版商事
渡辺稔(大宮高) 内 鈴木自動車専務
赤木健一(慶大) 外 メリヤス卸・赤木商店経営

中日
河村保彦(多治見工) 投 野球評論家
板東英二(徳島商) 投 タレント、野球解説
伊藤竜彦(中京商) 投 近鉄スカウト
成田秀秋(熊本工) 投 大成設備社長
水谷伸久(愛知商) 投 中日スカウト
浦西美治(伊都高)投 森下建設取締役
片岡宏雄(立大) 捕 ヤクルトスカウト
江藤慎一(熊本商) 捕 元ロッテコーチ、野球指導
小林英幸(帝京高)内 室内装飾会社勤務
杉本茂(享栄商) 内 全日本検教協会
横山昌弘(明大) 外 中日調査役

大洋
富田孝佳(海南高) 投 徳島クボタ
土橋敏明(伊都高) 投 食料品店経営
中沢信一(甲府商) 投 会社員
高松延治(報徳高) 捕 大洋スカウト
橋本勝磨(甲府商) 捕 橋本建設社長
桑田武(中大) 内 会社員
麻生実男(盈進高) 内 会社員
島田幸雄(法大) 内
尾崎靖夫(高知高) 内 大洋スカウト
近藤晴彦(早大) 外 藤電器取締役
金光秀憲(関学大) 外 

広島
井洋雄(濟々黌高) 投 縫製業
神垣雅昭(近畿大) 投
滝村修平(国泰寺高) 投 二葉商事(海運会社)
大石清(清水商高) 投 広島コーチ
大羽進(日大一高) 投 大羽化学役員
鴨志田仙(茨城高) 投 専売公社
宣山明(宇部商) 投
金沢秀彦(広島) 投 金沢運輸経営
別所真三(勝山中) 投
森圭二郎 (享栄商) 捕 会社員
上田利治(関大) 捕 阪急監督
土井文雄(松阪商) 捕 松阪東海ゴム
興津達雄(専大) 内 下水道工事
佐々木有三(益田産高) 内 日立運輸東京モノレール
斎藤達雄(静清工) 内

大毎

上条皇裕(足立高) 投 自由業
菅原紀元(東洋商) 投 不動産会社
花本和夫(都留高) 投 建築業
佐藤三男(東北高) 内 三平興業

近鉄

近藤三明(水戸農) 投 薬品会社
福原勝(益田産高) 投 ダスキン
久保征弘(港高) 投 阪神スカウト
江渡辰郎(尼崎高) 投 そば屋経営
井上志津馬(伊万里高) 投 ペンテル福岡支店
宮谷一雄(滝川高) 投 大谷組
河野安男(水戸農) 内 ゴルフショップ経営
辻村亘(同大) 外 菊水テープ取締役
佐々木隼人(宮古水産) 外 宮古信用金庫

東映

森稔(築上西高) 投 レストラン経営
河原田明(早実) 投 ロッテトレーナー
内田哲(聖学院高) 投
横尾弘氏(山形商) 投 給食センター経営
松本俊一(久留米商) 内
張本勲(浪華商) 内 ロッテ
黒崎武(桐生高) 内 矢萩工業桐生工場長

西鉄

田中喜八郎(津久見高) 投 大分鋼油
高野統(国分高) 投 故人
玉井英紀(今治西高) 投 レストラン経営
田中清美(田代中) 投 うなぎ屋経営
村上福男(今治西高) 捕 日立造船
小川康雄(東北高) 捕
菊池秀之(東北高) 内 菊昭電化社長
吉田孝(大濠高) 外 西鉄バス

南海

田中俊幸(下関商) 投 セ・リーグ審判
村上公一(西淀中) 投
長尾辰雄(日田高) 捕 マージャン屋経営
月岡伝男(松山商) 内

阪急

安藤治久(沼津市高) 投 レストラン経営
足立光宏(大阪西高) 投 阪急コーチ
大塚祐司(米子工) 投 王子製紙米子工場
西田幸雄(熊本工) 捕 故人
松並和視(高知高) 
宮原一喜(熊本工) 内 ゴム販売
藤木孝二(三池高) 内 元電機化学会社勤務
矢野清(八幡浜高) 外 阪急ブレーブススカウト
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藤野隆司

2024-09-25 21:33:43 | 日記
1960年
投手は参加が内定している新人藤野(平安)が外角低目の速球アウドロ、シュートとよい制球力をみせて一段のできばえ。「スピードはないが制球力をもっている投手だ。うまい」という選手の評判だ。藤野は「ひじが痛いので思い切って投げられないが、まん中には絶対投げない。もっとやれます」と自信ありげだった。

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加藤力雄

2024-09-25 21:14:26 | 日記
1959年
中日ドラゴンズは六日午後三時から名古屋市中区西川端町の球団事務所で中京大準硬式野球部加藤力雄投手(22)の入団を発表した。同選手は身長1㍍74、体重67・5㌔、右投右打。松陰高では二塁手をしていた。中京大の一年からエースとして活躍。四年生まで公式戦にはわずか1敗しただけで、この間東海大学準硬式リーグ戦に八連パ、全国大学選抜大会、東日本大学選手権などに優勝する原動力となった。また打力は四番で通算打率3割、ベースランニングも14秒台という俊足の持ち主。球団側では第二の土橋と大いに期待している。


加藤選手の話 硬式は初めてだが、ボールを持った感じはあまり変らない。一生懸命やって一日も早くマウンドに立ちたい。


平岩代表の話 変化球を持っているが、それより本格派としての素質が大きい魅力だ。軟式から転向した投手でも内藤(元広島、現審判)や土橋(東映)など成功している。努力次第ではすばらしい投手になるだろう。


1960年


八回には加藤(中京大出)を起用した。今季入団の新人で、軟式野球出身という変わり種だが、コントロールもよく、スピードもあって、そのプレート度胸のよさとともに、こんごが期待できそうなピッチングだった。

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原田亨

2024-09-25 21:02:57 | 日記
1960年

オープン戦初登板の原田亨が五回まで南海を無得点に押え、初の勝利投手となった。大きなモーションから投げる速球が武器。この日は大きなカーブが低く落ちすぎたが、シュートに南海打者は手を出して肝心なところでつけ込めなかった。原田が投手に転向したのは昨年のシーズン始まって間もなくのことだ。野手としての強肩、それに人一倍長い指の持ち主という特徴を杉下監督に見込まれたもの。昨年は二軍戦でときおり好投、平和台では西鉄をシャットアウト勝ちしたこともある。しかしまだ気分的に投手への転向にふんぎりがつかず悩んでいた一人である。ことしの別府キャンプでは投手としての練習にすべてをかけていた。ゲームが終わってカーブが少し悪かったのでシュートを多く投げた。カーブを多く投げていたら、もっと打たれていたでしょう。これでキャンプいらい努力してきたかいがあった。投球で勉強することはまだいっぱいあります。これからですよと目を輝かせていた。いますぐ大きく期待するのは無理だろうが、投手としての原田の前途には、やっと希望がみえてきたようだ。


昨年のシーズン途中から投手に転向した原田亨はまだまだにわか仕立ての域を出ていない。カーブの幅は相当大きいが、角度がない。ストレートも快速球という形容詞をつけるほど速くない。コントロールを条件にして、とりえはインシュートであろう。肉体的な条件ではいたって恵まれていてフォームも柔らかいが、ボディースイングがかなり大きいから、走者に乗ぜられやすく、捕手泣かせになりかねない。もっとも高校時代に多少の経験があるというなら話は別だが、ずぶのしろうとに近い内野手が一年そこそこでまともなピッチングができるはずがない。プロのバッティングはそれほど甘くないはずだ。すぐれた素質を持ちながら、五年、六年とプレート上で苦しみ、精進努力しながら、なおかつピッチングの実体がつかめない人が少なくない。原田亨のピッチングをことさら酷評する気持ちは毛頭ない。ただピッチングの奥は深いということを心に刻んでほしい。南海打線が原田亨を打てなかったのは引きつけが足りなかったからだ。

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