息子の育て間違い

2009年06月26日 | 健康・病気
今朝、NHKのテレビ番組を観ていたら、
津軽三味線の吉田兄弟を育てた両親が出ていた。
(ネットにパソコンがつながっていたら、
 ここでその番組を調べるのですが、できません。
 来週の29日に光回線が家にきます。待ち遠しいナ)

長男が小学1年のとき友だちが習い事を始めた。
長男も何か習い事をしたいといった。
お父さんは津軽三味線の演奏者になりたかったが、
長男だったので家業を継ぐためになれなかった。
それで長男に三味線を習わせた。
長男は三味線がどんな楽器かも知らずに習った。
弟も小学校に入ると三味線を習うようになった。

お父さんは、三味線については厳しかった。
仕事を終えて家に帰ったときに、三味線の音が聞こえないと
子どもたちを怒鳴った。
そんなお父さんから、お母さんは兄弟たちを守った。
吉田兄弟は、中学に行ったら三味線はやめようと真剣に思った。
三味線をやめなかったのはお母さんのお陰らしい。

私は、双子の息子たちを将棋の世界に行かせたかった。
幼稚園のときから将棋を教えました。
けっこう息子たちは将棋が好きで指していた。
小学3年生の頃だったか、女房の実家のある練馬の将棋大会で、
息子のUが優勝して、Kが準優勝になったことがあった。
所沢での小学生の将棋大会などにも私は参加させた。
(羽生が名人防衛しましたね。羽生は所沢出身です)
けっこういい成績だった。
私は、もっと将棋を指して強くなって欲しかった。
そして、奨励会に入って欲しいと夢見ていた。

小学5・6年のとき、私の前で2人が将棋を指した。
私は、20代のとき5・6千円した五寸盤と
1万円の将棋の駒を買って友人と楽しんでいた(今も持ってます)。
その盤と駒で息子たちは将棋を指していた。
あるとき息子たちが涙を流しながら指していた。
将棋というものは厳しい。一手一手が怖い。
その勝負が終わってから、息子たちは将棋をしなくなった。
それで私の夢は終わった。

息子たちは、互いを傷つけない、
リセットすれば元に戻るテレビゲームに夢中になった。
コンピューターゲームが好きでしたね。
高校生のときもやっていた。
そのせいかどうか、息子たちはどっちも文学部史学科なのに、
コンピューターのプログラマーとして就職した。
(なんで文学部のやつをプログラマーとして採用するんだ。わからない。
 息子に訊いたら、世界が違う人を会社は集めたかったらしい)
この責任は、息子たちが中学生のときに、
家にいるときはいつもパソコンに向かっていた私にあります。
コメント
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