朝目覚め、寝ぼけた頭で枕の先のポケットラジオを手探りする。
いつもは私の寝る右側に安物のステレオがあり、そのスイッチを入れラジオを聴く。
女房が軽井沢に来ているとそのステレオのところに彼女が寝てしまう。
なので私は、ポケットラジオを聴くしかない。
ポケットラジオは電波の入り具合が良くない。
雑音の中にか細くラジオが聴こえる状態だ。
朗読のようだった。時間は8時を過ぎている。
土曜日のNHKラジオはこんなのを今はやっているんだ、と思った。
おそらく4月から番組が変わったのだろう。
物語の時代と舞台は、江戸のようで職人の話だった。
誰の小説だろう?
山本一力か?
しばらく目をつぶって聴いていた。
いや、この人間の描き方、話の歩みはちがうな、と考えた。
私にとって馴染みのある文章だった。
山本一力は数冊しか読んでない。
時計職人・三次郎は腕に自信があり有頂天になって仕事をしていた。
いつしか仕事がなくなり、女房にもあいそつかされ逃げられる。
途中からラジオを聴いたので、そんなところだった。
そして酒に溺れる日々。
他人事(ひとごと)ではない。
独り者のときの私はそんなふうに暮らしていたときがあった。
あるとき三次郎は、浅草の見せ物小屋に昼間から酔っ払って入る。
いろいろな出し物が賑やかに繰り広げられた。
ところが次にやる者たちが出たら客席が静まりかえった。
一組の男と女だった。
女は身体より大きな板に背中を合わせて立つ。
それから離れて男が両刃の短剣を持って立っていた。
あたりは無駄口をたたく者もいない。
水を打ったように静かだった。
女と男の視線が合う。
真剣そのものだ。
男の手元が狂ったら女の身体に短剣が刺さる。
男が短剣を一本一本投げる。
それらは見事に女の身体の輪郭を描くように板に突き刺さっていく。
それを見ていて三次郎は目が覚める。
おれは、自分の腕に自惚れていた。
あの男と女の真剣さに比べたら子どもみたいだ。
どんな仕事でも真剣にやれば人の心を打つ。
心を入れ替えて時計の仕事をしよう、と三次郎は考え直した。
それから三次郎は、一所懸命いい時計を作る努力をした。
時計が旋律を奏でる〝うた時計〟というものを作る。
その評判を聞いてある大名が、三次郎をおかかえ土圭師にしてくれるという。
そんなとき女房が長屋に帰ってきた。
それからちょっとした心温まるエピソードがあり、朗読は終わった。
私は、胸が熱くなった。
そうだ、落ち込んでる場合じゃねェ。
おれは書かなくてはいけない。
小説を書くんだ。
番組の最後に「山本周五郎作『江戸の土圭師』でした」といってた。
ネットでラジオ番組表を見たら、
ラジオ文芸館「江戸の土圭師」(NHK第一 08:05~08:45)
【作】山本周五郎【朗読】和田源二
と書いてあった。
やはり山本周五郎か、私の一番好きな小説家です。
また、周五郎を読もう。