12月8日に亡くなった人

2011年12月08日 | 健康・病気

一番有名なのはジョン・レノン(1980)でしょうね。
今日も私は休日でした。
晴れていたら女房と離山房に散歩にでも行こうかなと思っていた。
たいした意味はないのです。
ただ、そこをジョンが好きだったと知ったからです。
家から歩いて20分ほどで行ける距離です。
しかし今日は一日中ものすごい霧で、散歩する気分にはならなかった。
10月の晴れた日にその前を歩いた。
中に入ってコーヒーは飲まなかった。
女房にそのことをいうと、
「私は晴れても行かないよ。1人で行ってくればいいよ」とそっけない、
「だって私は、ファンじゃないもの」
女房は、好き嫌いのはっきりしている人なんです。

三波伸介も12月8日(1982)に亡くなっていた。
さっきネットで調べて知りました。
てんぷくトリオが大好きだった。

私にとっては、龍彦です。
彼が23歳のときですから何年なんだろう?
1952+23で1975年なんですね。
彼はその年9月に備前に行った。
ある窯元に弟子入りしたのです。
その年の春に龍彦は、萩の窯元を同じく弟子だった女性と逃げていた。
九州を一回りして東京の私のアパートに来た。
「彼女と結婚したいんだ」と龍彦は私にいった。
「今、結婚して焼き物はどうすんだ?一人前になってから結婚してもいいんじゃないか」
そんなことをいって私は彼の結婚に反対した。
2・3日私のアパートに泊まって2人は関西に行った。
彼女の家がたしか京都でした。
そのあと龍彦から「今、備前の窯元にいる」というハガキが来た。
心を入れ替えて、陶芸の仕事をやる気になったんだと私は嬉しくなった。
ところが、11月だったか、友人から龍彦が病気になって入院したという電話があった。
私はすぐ岡山の備前まで行った。
まず龍彦が働いていた窯元に行き、彼が仕事をしていたロクロを見せてもらった。
龍彦の作った茶碗がいくつもあった。
病院に行くと、彼は喉に穴を開けられ人工呼吸器のパイプが差し込まれていた。
病気は、脳髄炎ときかされた。
脳に菌が入りそれを手術で取り除いたということだった。
龍彦は、19歳のときボクシングをやっていてプロテストに合格した。
デビュー戦の1週間前に「人を殴るのが怖い」といってボクシングをやめた。
私はボクシングのせいで脳を悪くしたのでは…、なんて素人判断をしたりした。
夜中の3時、弟から「仮眠したいので1時間ほど看ていてもらえませんか」といわれた。
私は病室で、眠っている龍彦と2人っきりになった。
人工呼吸器が、シュパー、シュパーと規則正しく動いている。
「痰が詰まったら、このパイプを外して痰をこれで吸い取って下さい」と弟に頼まれた。
そういうことにならないでくれと祈っていたのに、30分ほどして龍彦は痰をからませた。
私は怖かったが、人工呼吸器のパイプを喉から抜いてバキューム器の細い管を喉に挿入した。
龍彦の痰が、ズズー、ズズーと吸い込まれていった。
私は、人工呼吸器を元に戻しながら、
(龍彦、もういいよ。死んでいいよ。おまえが生きてたらお母さんと弟が大変だよ)
なんて心で呟いていた。私は冷たい男です。
母親は、どんな状態になっても龍彦に生きていてもらいたいと私にいっていた。
12月になって友人から龍彦が死んだと連絡があった。
友人と2人で山口の龍彦の生家に行った。
岩国から岩日線に乗って錦川の上流まで行って、葬式に出た。
息子が高校1年のときに、龍彦の生家に遊びに行った。
龍彦に息子が大きくなったことを見せたかった。
龍彦が亡くなってからお母さんと年賀状のやりとりをしていた。
そのお母さんも昨年亡くなった。

12月8日の今日、私は龍彦のことを思って過ごした。

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「梅の蕾」概略の訂正

2011年12月08日 | 健康・病気

7月16日に書いた「吉村昭の小説」という九想話に、12月4日にコメントがついた。
書いてくれたのは、吉村昭研究会の方でした。
私は嬉しかった。
しかし、次のことが気になった。

> 作品概略に3箇所の誤り(「医師は、村の人から梅の木をもらい」
> 「奥さんの静岡にある実家で」「診療所の庭の梅に蕾が沢山ついていた」)がありました。

なんとか早く訂正したいと思った。
昨日、御代田の図書館で「遠い幻影」という短編集の本を探したらありました。
昨日は疲れてしまったので、今日、本を読んだ。
なるほどご指摘のところを間違って私が書いていた。

「医師は、村の人から梅の木をもらい」
           ↓
> 年が明け、堂前と千葉市へ検診に行った夫人は、多くの梅の木を宅配便で送らせ、
> その一本を贈られた早瀬は、庭に植えた。(17P)

医師堂前が梅の木をもらったのではないのですね。
村長の早瀬が堂前の奥様から贈られた梅の木なんですね。

「奥さんの静岡にある実家で」
      ↓
> 堂前夫人の実家が湘南地方にあって、葬儀はそこで営まれることになっていた。(21P)

「診療所の庭の梅に蕾が沢山ついていた」
      ↓
> 車に入りかけた堂前に、早瀬は、
> 「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」(25P)

診療所ではなく、早瀬の家の庭で梅は咲いたのですね。

それにしても本日「梅の蕾」を読んでみて、あらためていい小説だなと感動した。
今日も泣きました。
これから「遠い幻影」(文藝春秋刊)に入っている他の短編も読んでみます。
こういう機会を作ってくれました吉村昭研究会の桑原文明 様、ありがとうございました。

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