「雪國 」吉幾三

2024年09月19日 | 会社・仕事関係



今夜、「歌謡プレミアム 特別版」(BS日テレ 20:00~21:54)
「吉幾三・山本譲二・細川たかし みんな一緒に半世紀スペシャル」を観た。
吉幾三が「雪國」をうたった。
「雪國」は、「俺はぜったい!プレスリー」「俺ら東京さ行ぐだ」などの
コミックソング路線だった吉幾三が、本格演歌路線への転向を図った曲です。
「雪國」は1986年に発売された。
そして1987年2月にはついにオリコン1位、「ザ・ベストテン」では演歌としては
2曲目(五木ひろしの「おまえとふたり」以来)の週間第1位となった。

私は1987年に在籍していた(株)K電子の忘年会でこの歌をうたった。
私はそのK電子が嫌いで、辞めたくてやめたくてしかたがなかった。
私が35歳のときでした。
吉幾三は、「雪國」をうたって本格演歌路線へ転向した。
私も、ちゃんとした会社に転職したいと考えていた。
所沢市にあるK電子は、東京の高田馬場にあったN電気の子会社だった。
電池メーカーのUPS(無停電電源装置)を下請けとして製造していた。
私はその会社(会社員30人)の資材購買部の仕事をしていた。
電池メーカーから翌月生産するUPSの注文が入る。
その部品を私は東京のいくつかの部品商社に発注する。
ICなどの半導体やコンデンサーやボリューム・その他の部品のうちの
いくつかの納期の長いことが分かると、
私は電池メーカーに連絡をして同等の他のメーカーにしたい、とお願いした。
メーカーが違うと同等品でもなかなか電池メーカーは、許可してくれなかった。
そんな苦労をしてなんとか製造に間に合う納期までに部品を集めた。
ところが肝心のUPSの心臓部になる電池が電池メーカーから入荷しなかった。
週1回やる工程管理会議で、いつも「なぜ電池が入らないんだ」と製造部や上の人から責められた。
電池メーカーから電池が入らないんだから、上の者が電池メーカーに話してくれればいいのに、
それはしないで資材購買担当者(私)を責めた。
そのときの会社の上の者は、電池メーカーのUPSを発注してくる部署とは仲良くしているが、
電池を支給してくれる部署には何も言えないようだった。
私は、そんな人たちと仕事をしたくなかった。
1988年の9月に、新聞にある会社の求人広告があった。
日本で上位の化学材料会社の所沢にある子会社が、資材購買担当者を募集していた。
その会社は、半導体製造のときに必要なハンドラーという装置を製造していたメーカーだった。
私は、装置メーカーだったら部品のメーカーが違っていてもすぐ許可が取れると考えた。
私は、下請けというものがつくづくイヤになっていた。
履歴書を郵送すると、1週間後に面接に来るようにと連絡があった。
そして面接をして、その会社に採用された。
その会社は本社が池袋、工場が所沢の他に熊本・松本・福島にあり、社員は100名ほどだった。
私はやっと下請けではなくメーカーの社員になれたのでうれしかった。

吉幾三の「雪國」を聴くと、あのときの転職のことを思い出す。
吉幾三は、コミックソング路線から本格演歌路線へ転向した。
私も、下請けの零細企業から、大会社の子会社だがメーカーに転職できた。
1988年の私の転職は、私の人生でかなり大きな出来事でした。
ですがその会社も、半導体不況で1998年には消滅してしまった。

♫ 雪國 ♫ 吉幾三


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2 コメント

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Unknown (yozanema-126)
2024-09-20 21:08:22
こんばんは。
吉幾三さん、いいですね。
コミックソングも好きでした。
雪国は作詞も作曲も吉幾三さんなんですね。
ひさしぶりに吉幾三さん聴けて嬉しかったです。
返信する
yozanema-126さん、こんばんは (九想)
2024-09-21 01:59:27
コメントありがとうございます。
吉幾三さんのメロディがいいですね。
返信する

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