私が35歳で転職した(株)日本エルエスアイは東ソーの子会社(現在この会社は存在しません)で、
半導体を製造するときに必要なハンドラーという装置のメーカーだった。
日本エルエスアイが所沢に出来たばかりの武蔵野事業所の資材部には、私の上に課長と部長がいた。
その部長は東ソーの人でやさしい人だった。
課長も長いこと資材購買をやってきた人で、いい人だった。
課長が加工品の部品、私が購入品(メーカーの製造する部品)の担当をした。
加工品とは金属を図面どうりに制作してもらう部品で、購入品は電機メーカーの造る既製品です。
私がその会社に入って、これまで苦労してきたことがなくなった。
それまで勤めていた会社での資材購買は辛かった。
なにしろ仕事をくれる会社の決めた部品を集めることが大変だった。
日本エルエスアイはメーカーなので、あるメーカーの部品が納期がかかるときは、
技術部に行って同等の別なメーカーに簡単に替えてもらった。
私は、ほんとうにいい会社に、転職してよかったと思った。
新しい職場で楽しく仕事をしていたが、1年ほどして部長が東ソーに戻ることになった。
そして新しい部長が入った。
その部長のせいで、それからの私と課長は苦労した。
いろんなことに細かい部長だった。
ほとんど1日中笑い顔はなく、黙って仕事をしている部長だった。
そしてまもなく課長と私に、コストダウンを要求してきた。
現在の部品価格から10%コストダウンするように、という。
私は、そのときに付き合っている部品商社にコストダウンをお願いした。
すると1回目は、どの会社も10%のコストダウンに応じてくれた。
ところが部長は、コストダウンが終了してから3ヶ月後にまたコストダウンしろという。
さすがに課長も私も困った。
それでも、取引先にそれをお願いするしかなかった。
あの部長の下での仕事はつらかった。
私からすれば、部長のコストダウンの要求には無理があった。
なんの根拠もなくただコストダウンをしろ、というだけだった。
いくつかの部品商社からは、取引を断られることもあった。
ある程度の利益がない取引などは、お断りの会社は何社かあった。
部長は、資材部はこんだけコストダウンをしているんだ、ということを
本社の社長たちに言いたかったのだろう。
それにしても無理なものは無理なんです。
その部長があるとき飛行機で熊本に出張した。
帰りの飛行機の中で倒れて、そのまま病院に入院した。
なんでも脳に、ある菌が入ってそのようになったと、言われた。
そのとき私は課長という立場になっていた。
課長というのはかっこいいが、要するに残業代を出さなくていい社員ということです。
部長が入院したので、それまで部長がしていた仕事を私がすることになった。
部長は、武蔵野事業所の所長のような仕事もしていたので、
武蔵野事業所の1ヶ月の仕入れた部品の金額、各社員の作業時間の合計などを、
集計して本社に報告していたのです。
その仕事も私がやることになった。
それまでも私は毎日、夜の9時までは仕事をしていた。
お金が出ないので残業とはいいたくない。
自分の仕事を終えてから部長の仕事をやった。
部長は、紙に手書きして、電卓で計算していた。
私は、40歳の2月にパソコン通信がしたくてNECのノートパソコンを買っていた。
ほとんど家でそのパソコンで、パソコン通信を楽しんでいた。
部長の仕事をするには手計算では間に合わなかった。
部長は、昼間1日中ゆったりとその計算をしていてよかった。
私はLotus1-2-3を勉強して計算式を入れて、部品の金額や作業時間の合計を出した。
そうやっても月に何日かは深夜の3時ぐらいまで仕事をしなければならなかった。
あのとき私はどうやって生きていたんだろう?
そういう暮らしを3ヶ月ほどしていたら、部長の体調が回復して退院した。
1ヶ月ほど自宅療養をしてから会社に部長が出てきた。
そして、会社に出社してきた部長の私に対する態度が一変した。
私にコストダウンなんてことはいわないし、なにしろ会社での態度が丸くなった。
あァ・・・、人間なんてこんなもんだな、と私は納得した。
部長は、私が部長のしていた作業をパソコンを使って集計したと話したら、
さっそく部長もNECのノートパソコンを買った。
その頃、会社にはパソコンなんてものは存在しなかった。
私は、Lotus1-2-3や一太郎を部長に教えた。
まだそのときは、WindowsはなくてMS-DOSだった。