新春ドラマ特別企画「最高のオヤコ」(MBS 夜9:00~)を見た。
これまで藤山直美のドラマを観たことがなかった。
ちょっと藤山の演技が“クサイ”と感じたところもあったが、いいストーリーだった。
最後のほうなんて私は涙を流しっぱなしだった。
歳とったんですかね。
今日、仕事を終えて帰ってくるときに、道路脇にある温度計が-5℃を表示していた。
会社の寮に着き、空を見上げると、星が一つひとつ綺麗だった。
夜の11時10分ぐらいにはオリオン座が空の真ん中にデーンとあった。
綺麗でした。
オリオン座は、中学生の頃に好きになった。
星座の中で一番好きです。
軽井沢の夜空の星はホントに美しいです。
「奇跡の天空都市『マチュピチュ102年目の真実』」(1月2日(金)午後2時~ BS-TBS)
録画予約しておいたのを観た。
(この番組は、2013年に最初に放送されたもののようです)
メモしながらテレビを観ていた。
メモしておいたものに、よくわからない言葉があります。
それにしてもなぜあんな高いところにあんなものを作ったんだ?
マチュピチュは、アマゾンとクスコの物質運搬の中継地点として作られたようだ。
せっかく作ったのに、ある日突然誰もいなくなった。
「マチュピチュの人々は、スペイン人と戦う皇帝についていっていなくなった」
と番組に出ていたマチュピチュ研究の権威と言われる博士が話していた。
マチュピチュ、行ってみたいなァ!!
番組のバックにフォルクローレの音楽が流れていた。
やはりフォルクローレはいい。
思わずケーナを吹きたくなります。
-メモ-
チンチェーロ
ウルバンバ
オリャンタイタンボ遺跡
6枚屏風岩 1つ50トン
ロレト通りの石壁 クスコ
アンデネス(段々畑) 高い所ジャガイモ 低い所トウモロコシ
チチャ(インカの酒)
インカトレイル(トレッキング)
インカ道(全長4万km)
キープ(結び目は数字を表す)
ハイラム=ビンガム(マチュピチュ発見者)
マチュピチュ(老いた峰)
農耕地区 居住区
人口 500~700人
儀式の石
インティマチャイ(太陽暦)
天体観測の石
ワイナピチュ
コンドルの神殿
雨を降らせる聖なる動物
生け贄 神と人間とのコミュニケーション
コカの葉
ミイラを運ぶ人々
3つの窓の神殿
巨大な福祉国家
マチュピチュの人々は、スペイン人と戦う皇帝についていっていなくなった
マチュピチュは、アマゾンとクスコの物質運搬の中継地点
マチュピチュは、500年以上前に作られた
発見されて102年
年末に「獄中で聴いたイエスタデイ」(瀧島祐介著 鉄人社刊)という本を読んだ。
この本を書いたのは、元広域暴力団二次団体特別参与だったひとだ。
1980年1月16日、元ビートルズのポール・マッカートニーは、警視庁の留置場にいた。
ビートルズ解散後に結成したバンド「ウイングス」の日本公演を控えたポールは、
同日14時50分、リンダ夫人と4人の子供と共に来日した。
しかし、成田空港の税関で大麻所持疑惑により逮捕。
のちに、10日間の勾留を経て国外退去処分となった。
その頃、警視庁の留置場に1人のヤクザがいた。
殺人罪で勾留されていた元極道・瀧島祐介である。
瀧島は、フィリピン・マニラの拳銃密輸事件に絡み、仲間を1人チャカで殺害し、
警視庁捜査四課に逮捕されていた。
ポールが逮捕された当日、警官から
「あのポール・マッカートニーが警視庁に逮捕されて、留置場に入ってくるらしいぞ」
と聞かされた。
その頃警視庁本部の留置場は2階にあった。
ポールが収容されていたのは「二房」の雑居房。
瀧島が入っていたのは「五房」の雑居房だった。
壁と廊下に隔てられているが、距離にして数メートルという近さだった。
> その日の夜、私は二房のポールに向けて魂を込めてこう叫んだのだ。
> 「ポール!『イエスタデイ』プリーズ」
> 彼には私の声が聞こえたのだろう。
> 「OK !」
> そう叫んだ直後、冷たい床の板を手と足で叩き、リズムをとり始めた。
> トントコ、トントコ、トントコ、トントコ。それからあの透き通るよう
> な声で『イエスタデイ』を歌ってくれた。そのリズムたるや、最高だっ
> た。留置係の二人もその時ばかりは何も言わなかった。きっと彼らもポ
> ールの歌を聴きたかったんだろう。
> あの日、静まりかえった留置場内でポールの美声だけが響き渡ってい
> た。世界広しといえども、獄中で世界トップアーティストのアカペラを
> 四曲も聴いたのは私たちだけだろう。私にとって生涯最高の思い出にな
> った。
この本は、殺人を犯した元極道の著者が、ポールと出会い、獄中で『イエスタデイ』を
聴いたことによって人生が変わり、カタギとなるまでを書いた自伝です。
正直なところ、私はこのひとの生き方を認められない。
ヤクザという生き方をしたこのひとが好きじゃない。
> 物心ついた頃から日陰を歩き、しまいには人を殺めてしまった私が「更正」
> だなんて生ぬるい表現かもしれない。被害者とそのご家族に対する贖罪の
> 気持ちを片時も忘れず、一生涯、自分の罪と向き合って生きて行くのが私
> の勤めであることは承知している。
> が、齢七0を過ぎて思うところはある。いま私は、竹やぶの中に建てた
> 掘っ立て小屋でペンを握りながら「あの時、ポールに会っていなかったら、
> 俺はこうして更正の日々を送ることができたのか」と考える日々を送って
> いる。この気持ちを、現在、罪を犯して苦しんでいる人たちに知ってもら
> いたいのだ。
<略>
> しかしそれでも本書を出版しようと決意したのは、この本によって救わ
> れる人生もあるはずと信じているからだ。本書は、私のような人間でも、
> カタギになることは可能だという証でもある。私がポール・マッカートニ
> ーとの出会いで人生が変わったように、人間は信じる人がいれば、誰でも
> 何度でも、生まれ変わることができるのだ。
私は子どもの頃から臆病で暴力を拒否して生きてきた。
著者は、小学生の頃からケンカばかりしているヤンチャ坊主だった。
中学2年の時、家を飛び出し、不良少年と野宿をしながら、生活するようになる。
14歳、恐喝で初めて少年院に入り、1年後に出院。
そして少しづつ極道の世界に入って行く。
私は、高校を出てから入った手工ギター工房でつまずき、
それから20近い転職をして生きてきた。
私は、著者と酒でも飲んでみたいな、と思った。
この自伝は、映画にしてみたいですね。
年末ジャンボ宝くじ が当たったらどうしょう?と心配していた。
「とりあえず息子たちに1億円づつやるか、おれたちは5億円あればこの先いいよな」と話した。
私たちは、女房が連番を10枚、私がバラで10枚買っていた。
しかし、なかなか当たりの確認をしなかった。
今夜こそ見てみようと思った。
でも、ホントに当たったらどうしよう?と心配はつきなかった。
食事を終え、9時過ぎパソコンを立ち上げてインターネットで見てみた。
1等7億円が、86組106608番だった。
私が最初に見たのが、「1066…」という宝くじだった。
私は一瞬びっくりした。
最後まで見ると、「106661」だった。
でも、やはり私は最初ハッとした。
女房にいうと「組がまったく違うじゃない」という。
私の持っていたのは41組だった。
でも組違いでも10万円がもらえる。
あとのはまったくかすりもしなかった。
20枚で600円当たった(誰もですね)。
来年がんばります。
永六輔の土曜ワイドが9月で終わって、初めて「六輔七転八倒九十分」(TBSラジオ午後6時~7時半)を聴いた。
私は月曜日の夜は絶対仕事で聴けない。
久しぶりに永六輔の声を聴いた。
かなりしゃべれなくなっていました。
しかし、声に力があった。
私としては、野坂昭如が亡くなってかなり落ち込んでいるのではと思っています。
6時半過ぎから「野坂昭如さんからの手紙」のコーナーがあった。
野坂が亡くなっても過去の手紙を紹介するというコーナーのようです。
今日は、2008年1月5日の「野坂昭如からの手紙」を読んだ。
新年の楽しみはラグビーの試合を見に行くことだった。
あるとき吉永小百合とラクビー観戦をしたことがあったそうだ。
そのとき、吉永小百合は「死ねー、殺せ~」と贔屓チームを応援していたそうだ。
そのあと野坂は、ラクビーの応援には小百合さんを真似して「死ねー、殺せ~」といっているそうです。
野坂はラグビーが好きでアドリブ倶楽部というクラブを作っていた。
久しぶりに永六輔の番組を聴いた。
何も変わっていなくて(放送曜日は変わった)嬉しかった。
今日、息子たちと女房の母親が埼玉の私の家に来た。
次男の嫁は昨年、転んで腰・脚を痛めてしまったので来られなかった。
女房と私は、10時頃スーパーに行って昼に食べる寿司などを買ってきた。
11時過ぎに義母が来た。
次に長男の家族、そして次男と孫娘が来た。
楽しかった。
長男の男の子は3歳、いろいろ話すようになった。
すぐ私のところに来て、私の一眼レフをいじりたがった。
私は好きなようにシャッターを押させた。
次男の小学3年の子は、すっかりお姉ちゃんになっていた。
12月には素晴らしい新体操の演技を見せてくれた。
お義母さんも楽しそうだった。
私は、幸せだなとしみじみ思った。
26歳で結婚して、15回以上転職してきた。
女房と息子2人を私は養っていけないのではないか?と絶望しかけたときもあった。
行く会社行く会社、傾いて行った。
それでもなんとか息子たちを大学まで行かせて、社会人にした。
これは、女房が働いてくれたおかげです。
息子2人は、就職した会社を辞めず(親に似ず)結婚し、
一所懸命働いて、20代でマイホームを購入した。
そして私たちも息子たちより遅く、なんとか中古住宅ですがマイホームというものを所有した。
それでその家に正月、“家族”が集まって新年会を開いた。
あ…、女房と私は人並みのことをやってきたんだ、と思った。
何も大きいことはしていないが、子どもを産んで育てた。
息子たちが社会人になり家族を持つ人間になってくれた。
それだけで充分ではないか、と思う。
一応、私の願う基本的なことはできた。
これからは、自分の夢をどれだけ実現できるか、ということが人生の目標になった。
3歳の孫が撮った写真です
昨日、茨城の実家に行った。
午後2時近く埼玉の家を出た。
カーナビに桜川市に住む姉の住所を設定した。
私と兄のために、母の着物を使ってドテラを作ったというので、それを取りによるためです。
以前乗っていたFitのカーナビでは、桜川市の実家に設定すると
川越に出て国道16号を通って大宮、久喜市、古河市というコースだった。
私が考えるに、東松山市、鴻巣市、加須市、古河市と通ったほうが距離は近いと思う。
一度、茨城からその逆をカーナビがなぜか指示してくれて帰ったときがあったが、
距離・時間が短かった。
ただ今回、その道がよくわからないのでワゴンRのカーナビの指示に従おうと決めた。
案の定、カーナビは川越市へ行く道路を案内してくれた。
ま、しかたないかと諦めてそれに従った。
しかし、現在の私のカーナビはアホだった。
川越市に行くのはいいのだが、Fitのときは菓子屋横丁を左折し、
川越市役所の前を通って国道254号に連れて行ってくれた。
でもこのカーナビは、菓子屋横丁を右に曲がるように指示しやがった。
その先に喜多院があり元日のその辺はものすごい人で混雑していた。
道路は渋滞で16号に出るのにずいぶん時間がかかってしまった。
それから大宮バイパスを通り久喜のほうへ案内してくれるのかと思っていたら、
16号をそのまま行って岩槻のほうへカーナビは指示した。
結局、春日部市から国道4号に行く道を走らされた。
それを道なりに走り、国道50号に左折し結城市に入った。
これはゼッタイ遠回りだと思う。
今日、帰るときにカーナビは「自宅に帰る」にセットして、カーナビの指示を無視して走った。
古河市あたりまでは私の知ってる道路を走った。
カーナビは50号から4号を指示した。
それに私は知らんぷりして125号を通り、加須市、行田市、に向かった。
その辺に行くともうカーナビは大宮、川越へは案内しなくなった。
いつの間にか17号を通り熊谷市のほうへ案内していた。
気がつくと、軽井沢から帰ってくるときに使う道路に出た。
これも遠回りだ、と思った。
今、地図で確認したら、鴻巣市を通らなければならなかった。
なんでカーナビは、加須市から行田市、じゃなくて鴻巣市を指示してくれなかったのだろう?
それでも行きは137キロで、帰りは129キロだった。
鴻巣市を通っていればあと3・4キロは距離を縮められたのではないか。
今のカーナビには、距離優先という設定はない。
Fitのカーナビにはあった。
10年前のカーナビだったが、30万円ほどした。
今のは8万円ぐらいのカーナビです。
この金額のせいなのかな?
カーナビがあるのにそれに頼れないとは情けない。
今朝、私は5時半に起きた。
女房は5時頃に起きていた。
昨日から初日の出を見に近所の物見山行こうと決めていた。
ネットで調べたらさいたま市の夜明けが6時51分とあった。
ま、同じ埼玉県だからそのぐらいだろうと目標時間を決めた。
家を6時15分に車で出かけた。
あたりは薄暗かった。
3キロほど離れた駐車場に行くと沢山の車が停まっていた。
そこから歩いて10分ぐらいで物見山の山頂に着いた。
数えたわけではないが、そこには100人ほどいたように思う。
6時47分ぐらいに太陽の上の部分が見えて明るくなった。
それからグングン太陽は昇った。
あっというまに初日の出が見られた。
すっかり太陽が姿をあらわすと、みんな山を下り始めた。
私と女房も7時過ぎにそこを離れた。
すぐ近くに巌殿(いわどの)観音というお寺があるのでお参りをした。
元日の朝、お参りすることを「元朝参り(がんちょうまいり)」という。
私は、今日の九想話の題を「元朝参り」にしようと書き始めた。
ところで「元朝参り」って標準語だろうか?、と素朴に思った。
ネットで検索すると茨城の方言と書いてあった。
別なサイトには東日本のほうの方言と書いてあった。
女房に訊くと、「初めて聞く言葉だ。初詣のこと?」という。
私は、さっきまでなんの疑いもなく標準語だと考えていた。
とにかく無事、元朝参りに行ってきました。
美しい初日の出を見られてよかったです。