ピーコさん死去

2024年10月20日 | 健康・病気

ピーコさん死去  同性愛者公言し、双子でタレント活動  44歳で左眼摘出  晩年は認知症で施設入所

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20241020-0345


> 双子のコンビ「おすぎとピーコ」としてタレント活動を展開し、ファッション評論家、
>シャンソン歌手としても知られたピーコ(本名・杉浦克昭=すぎうら・かつあき)さん
>が9月3日、敗血症による多臓器不全のため死去した。79歳。

> 古希を過ぎても精力的に芸能活動を行っていたピーコさんだが、21年ごろから一卵性
>双生児の弟・おすぎに認知症の兆しが見られたため、10年前から福岡で暮らしていた弟
>を横浜に呼んで同居を始めた。

> しかし「老老介護」には限界がある。次第に兄弟仲も悪化。そのうちピーコさんにも
>認知症の症状が現れたため、22年2月に同居生活を解消。おすぎは介護認定を受けて、
>横浜市の高齢者施設に入居した。ピーコさんは1人暮らしを続けていたが、今年8月下旬
>には入院もしていたという。

ピーコさんが亡くなった。
この記事を読むのはつらいです。
私は、ピーコさんが好きだった。
この人の話すことに納得できた。
よく永六輔さんの番組にも出ていた。

おすぎさんも認知症になったようだし、ピーコさんもそのようです。
私も認知症になるのはいやだな。
でも私が認知症になって大変なのは女房か。
歳をとることはさびしいですね。



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土曜日の朝

2024年10月19日 | 暮らし

朝6時、ウォーキングに行く前に郵便受けを見るとこれがあった。
昨日の夕方に来ていたようだ。
最初、封筒を見ただけではなんだか分からなかった。

土曜日はゴミを捨てるものはないので、ゴミ集積所ではないところを行く。
私のところでは、月曜日がプラスティックゴミ・1週間おきに瓶缶、火曜日は燃えるゴミ・生ゴミ、
水曜日は1週間おきにペットボトルか危険物かダンボール・資源紙(本)です。
木曜日はなしで、金曜日は燃えるゴミ・生ゴミです。

こういうものが、ある家の前にあった。
「アイビーリース もしよろしかったらどうぞご自由にお取り下さい」
私は、庭に植えようと思って2つもらった。
選挙掲示板にはポスターが2枚貼ってあった。




私が毎日あるくウォーキングコースです。
家に帰って封筒を開けるとNHKのピアノのテキストだった。
もう女房は、テレビに映った楽譜を写譜して練習していた。
私はまだ何もしていない。
女房が、「これで練習ができるね。毎日やってね」という。
私は現在、「カノン」で前に進めないでいる。
とてもじゃないが、エリック・サティの「ジムノペディ」やショパンの「革命」まで手は出せない。

 

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西田敏行さん

2024年10月18日 | 演劇

昨日、西田敏行さんが亡くなった。
西田敏行さん 自宅に俳優仲間が続々弔問 柴俊夫、松崎しげる、田中健…五人会が涙の再会 竹下景子も姿見せる

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/entertainment/20241018139


> 17日に76歳で亡くなっていることが分かった俳優の西田敏行さん
>について、所属事務所は18日、死因が虚血性心疾患だったと発表した。
>亡くなったのは17日午前6時ごろとみられる。

30代の頃、西田敏行さんのこんなエピソードを知った。
中学生のときに西田敏行さんは、次のように思ったらしい。
「俺このままずっとこの多感な時期こっちで暮らしていると、福島弁が染みついちゃって、
 もしかしたら標準語をしゃべれなくなっちゃうんじゃないか」
映画俳優になりたかった西田敏行さんはそう考えて、両親を説得して高校生から上京したという。
今の私はこの気持ちがよく分かる。
福島弁と茨城弁はよく似ている。
私は19歳まで茨城にいたので、訛りはどうしょうもなくあります。
72歳の今でもイントネーションは抜けない。
私は22歳のときに、初めて舞台に立って演技をしたときに茨城訛りで苦労した。
中学生の私は、そんなことは夢にも考えなかった。
西田敏行さんは、中学生でそのことに気づいて上京したことは素晴らしいと思う。

2021年06月29日九想話「演劇青年になれなかった私

2019年07月26日九想話 演劇をしていた頃-1
2019年07月27日九想話 演劇をしていた頃-2
2019年07月29日九想話 演劇をしていた頃-3
2019年07月30日九想話 演劇をしていた頃-4
2019年07月30日九想話 演劇をしていた頃-5


 

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友人の死

2024年10月17日 | 友人

今日13:43に、所沢の友人からLINEが入った。

>こばちんが亡くなりました。62歳です。残念です。

こばちんとよく飲んでいたのは20年ぐらい前です。
そのとき私が住んでいた新所沢に「楽家」という居酒屋があり、
そこで1週間に1・2回は一緒に飲んでいた。
その頃の九想話に、楽家でのエピソードがいくつか書いてあります。
そのとき私も彼も新所沢駅前の公団住宅に住んでいた。
私は、連絡してくれた友人に電話をした。
今日は告別式に、シントコのみんなで行って、帰ってきて飲んでたようだ。
死因を訊くと、「最後は肝硬変だった」という。
これまでいろんな病気をやってきたようだ。
彼と最後に会ったのは、2019年の忘年会のときだった。
みんなで伊東のホテルに泊まって忘年会をした。

2019年12月09日 九想話「シントコ忘年会

帰りは、所沢の人間は池袋から西武線で帰り、こばちんと私は東武東上線だった。
彼が降りる霞が関駅まで一緒で、そこまで電車の中でいろいろ話した。
62歳は早い、残念です。

今日の昼頃、西田敏行が亡くなったというニュース速報があった。
私が、ドジャーズとメッツの試合を観ていたときで、大谷がホームランを打ちました。
西田敏行の死も私にはショックです。
私のかなり好きな俳優だった。
好きな人間が亡くなってゆく。
さびしいです。

西田敏行が76歳です。
私は72歳、私もあまり先はないな、と考える。
私の膀胱がんも、どうなるか分からない。
これから、しっかりやることやって生きようと思います。

 

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シラサギ

2024年10月16日 | YouTube

シラサギ

9月28日、私のウォーキングコースにある池に行くとシラサギがいた。
キレイだな、と思った。
池はあまりキレイな池ではない。
でも、シラサギがいると少しちがう。
あの日以来シラサギを見てません。
また池に来てほしいです。





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そこそこたいへんな一日

2024年10月15日 | 俳句・短歌

今日、朝日俳壇と句会への投句をなんとかすませました。
作った俳句は〝やっつけ〟でダメな句です。
句の水準より、投句をするということを目指しました。
それで15日の11時55分までに、無事投句できました。
今夜はこれで寝ます。

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スポーツの日

2024年10月14日 | スポーツ

今日は、「スポーツの日」でした。
昔は、「体育の日」と呼ばれていましたね。
私とはまったく縁がなく、かけ離れた日です。
子どものときから運動神経がなく、〝運動〟ということが嫌いな私でした。
小学生のときに野球をやると、私は飛んできた球をエラーする。
打者になってもボールを打てない。
するとそのことを、私が何の価値もない人間のようにいう人がいる。
私は、運動会の徒競走ではいつもビリでした。
なにしろ足が遅いんです。
他人(ひと)よりへたくそだと思うことは、やりたくないです。
なので私は、〝運動〟を避けて生きるようになった。

私は小学4年までは分校に通っていた。
小学5年からは、家から7キロ離れている本校に自転車で行っていた。
分校では1クラスだったが、本校に行くと3クラスになった。
昼休みはみんな男子は、校庭に出て野球やバスケットなどの運動をした。
私は、いやだったから教室にいた。
みじめでしたね。

そんな私が中学校に行ったときに、毎日活動するクラブに入りたかった。
でも運動クラブには入りたくない。
それで入ったのが吹奏楽部でした。
私は、トロンボーンを吹くことになった。
しかし、1年生のときは、楽器がなかった。
3年生が全体練習を終えてから、トロンボーンを借りて少しだけ練習した。
そして私が2年生になったときに、3年生のトロンボーンが私のものになった。
私のパートは、第2トロンボーンだった。
第1とちがって第2トロンボーンの楽譜には、メロディが少なかった。

ま、それはどうでもいいことですが、なにしろ私はスポーツというものが嫌いでした。
そんな私ですが、高校のときは高校野球の応援に吹奏楽部として行っていた。
応援団の奴らと一緒になって応援していた。
私にとって〝運動〟とは、応援するものですね。
現在は、日本のプロ野球では阪神を、国際試合ではニッポンチームを応援しています。

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今日はのんびり

2024年10月13日 | 暮らし




今朝、女房は母親のいる千葉の施設に行くので6時過ぎに家を出た。
いつも6時にはウォーキングをする私は、女房が家を出てから歩き始めた。
1ヶ月前ぐらいには、早朝ウォーキングしたり、犬の散歩をする人が多かったが、
気温が下がってから少なくなった。
私としてはいいことです。
人とすれちがうときに私は、必ず会釈をして「おはようございます」というのですが、
中には無言で通り過ぎていく人がいる。
そういう人とすれちがうと、さびしい気持ちになります。
人が少なければ、そういうことが少ないので気持ちが楽になります。
家に戻って私は、庭の芝生を芝刈り機で刈った。
この夏の間に、かなり芝が伸びきっていたからです。

9時ぐらいからテレビを観ていた。
アメリカ大リーグ、日本の野球のクライマックスシリーズの結果、
衆院選のことなど報道していた。
私は10時半に図書館に行って、朝日新聞・週刊文春などを読んだ。
家に帰って昼食を食べ、1時間ほど昼寝をして14時からCSの阪神・DeNA戦を観た。
その頃に女房は家に帰ってきた。
女房に義母の体調のことなどを訊いていたときに、DeNAが4点入れた。
結局、阪神は負けてしまい、今年の私の野球暮らしは終了しました。
明日からのアメリカ大リーグの試合は観ますけどね。

私の入っている句会の投句締め切りが10月15日、朝日俳壇の締め切りが火曜日正午、
明日は俳句を作ります。
歳をとった私は最近、俳句が浮かばないことが哀しいです。

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青春の鉄板焼きvol.15

2024年10月12日 | 音楽

今年も「青春の鉄板焼き」(川越市シニアフォークギター連盟定期演奏会)が開催されました。
今日私は、家でナ・リーグ地区シリーズ第5戦 ドジャース―パドレス戦を観て、11時20分に家を出た。
バス停に行くときもバスの中でもスマホのNHK+で、ドジャース―パドレス戦を観ていた。
2-0でドジャースが勝った。

「青春の鉄板焼き」に、おもに歌われる曲はフォークソングが多い。
でも今日は、アメリカのポップスや昭和の歌謡曲などもあった。
みなさん、楽しそうに演奏していました。
高齢者になって、ギターを弾いてステージで歌うことは素敵なことだと思います。
多いのは70年代のフォークソングですね。
私はそれらを聴いて自分でも心の中で歌っていた。
その曲たちは、私の青春時代のものでみんな懐かしいです。

最近私は、ギターを弾いて歌っている。
(ピアノも尺八もケーナも練習している)
そのうち動画に撮ってYouTubeに載せたいと考えています。
でもへただから、いつのことになることやら。

青春の鉄板焼きvol.12 - 九想話 - gooブログ
青春の鉄板焼きvol.13 - 九想話 - gooブログ
青春の鉄板焼きVol.14- 九想話 - gooブログ



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被団協にノーベル平和賞

2024年10月11日 | 平和

「心からの敬意と感謝」 被団協にノーベル平和賞、与野党から歓迎の声
 (毎日新聞)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20241011k0000m010310000c


> 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞が
>決まったことに、与野党から歓迎の声が上がった。

日本原水爆被害者団体協議会が、ノーベル平和賞を受賞したことはよかった。
日本被団協のこれまでの活動が、認められたということですね。
中東やウクライナで続く戦争のことを考えると、核の脅威が怖いです。
このときに、日本被団協にノーベル平和賞の授与はいい判断だったと思う。

ただ、
ノーベル平和賞、日本の安保には逆風も政府・与党首脳は相次ぎ祝意コメント
 (産経新聞)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/sankei-_politics_situation_IAUA4DS7ENND5FTU5LKWPTFXSI

>政府・与党首脳は11日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノー
>ベル平和賞授与について、一様に祝意を示した。ただ、核抑止自体を否定
>する被団協への平和賞授与は、米国が核兵器で同盟国を守る「拡大核抑止」
>の維持・強化に向けた議論には逆風となりかねない。
(略)
>ただ、本音の受け止めは祝意一色とは言い切れない。政府と被団協の間には、
>核廃絶に向けたアプローチや、核抑止力に関する考え方で、埋めがたい溝が
>あるからだ。

>日本は唯一の被爆国として核廃絶を訴えつつ、現実には米国の核抑止力に依
>存するジレンマを抱える。政府は米国との緊密な連携で拡大核抑止力を維持
>しつつ、核兵器国と非核兵器国の「橋渡し役」となることで、将来的な核廃
>絶を目指す立場をとってきた。

>一方、被団協は核抑止政策そのものを認めておらず、政府の抑止力維持の取
>り組みを厳しく批判してきた。「核兵器禁止条約」に関しても、被団協が政
>府に参加を求めるのに対し、政府は慎重な立場を崩していない。同条約には
>核兵器国が参加しておらず、現実的な進展が見込めないためだ。

>核廃絶を訴えた岸田氏ですら、被団協の主張からは距離を置いてきた。一方、
>石破茂首相は米シンクタンクへの寄稿で米国との「核共有」の検討を提起す
>るなど、むしろ核抑止力の強化論者だ。



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