徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

ミュンヘンで友達に会う

2015-09-28 11:40:14 | Weblog


3月のクラス会で元クラスメイトの1人がドイツに住んでいることが分かった。
が、誰もドイツのどこに住んでいるのかは知らなかった。彼女と仲の良かった人に連絡先を聞いてみたけれど、『う~ん。Lineのしか分からないんだよね』と言う。『今わかるのは日本の携帯の番号だけ』というので、一応携帯の番号を教えてもらい、ドイツでSMSを送ってみたけれど、案の定音沙汰なし。日本の携帯をドイツでも使えるようにはしないよね。

クラス会からしばらくして幹事から『SNSでつながったよ!』と連絡が入り、私も彼女と連絡が取れるようになった。

9月上旬のある日、彼女とミュンヘンで会った。10数年ぶりなので、すぐに分かるかなぁ、と心配したけれど、お互いすぐに分かった。たぶん、約束をしていないと『あれ?似ている…』と思うくらいだろうけれど、会う約束をしているので逃す心配はなかった。

あれこれと話をしていると、『クラス会での担任の先生の話、いろいろなことがごちゃごちゃになって記憶が変わっちゃってるね』ということが多々あった。私もそうだけれど、20年も経つと記憶が上書きされてしまう。

ランチとお茶であっという間に時間が経ち、彼女が帰る時間になった。私はまだ時間があったので、アルテ・ピナコテークへ行った。アルテ・ピナコテークはもともとはヴィッテルスバッハ家の収蔵品を公開するための美術館。デューラーやルーベンスなどの作品も収蔵している。私は見学には1時間ほどしか使えなかったので、すべての作品をざっと見るのが精いっぱいだった。


私がミュンヘンに行った日は、難民が数万人ドイツに到着したほぼ初日だった。現在は、ザルツブルク/ミュンヘンの電車が運休(10月初めまで)していたり、オーストリアとドイツの国境でパスポートコントロールがあったりするけれど、その日は普通に電車は動いていた。駅も街も「いつも通り」だったので少し驚いた。

私が帰りの電車の乗り場を探そうと掲示板を見上げていた時、8人くらいの警察官がとあるプラットフォームに向かって走って行った。そこには、オーストリアからの電車が止まっていて、人だかりができていて、その写真を撮っている人もいた。そのプラットフォームにもすでに警察官はいたから、結構な人数の警察官がいたけれど、特に混乱もなく、しばらくしたらオーストリアに向けて電車が出発した。

たくさんの難民が一気にドイツに来たけれど、(失礼ながら)意外にもきちんと対処できているんだな、と思った(当時)。

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