唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

伊愼伝

2019-03-02 11:45:51 | Weblog
江西嗣曹王皋に従い、叛将淮西李希烈等を南方から牽制した將軍

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伊愼伝
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慎、字は寡悔、兗州の人。

騎射に優れ果毅となる。春秋や戰國策等の書も学んでいた、廣州綏南府折衝都尉へ。
母の葬に際して、父の墓の場所がわからず、夢で見つけることができたという逸話がある。

大暦8.江西節度使路嗣恭が嶺南哥舒晃之亂を討つ,先鋒となり功績があり、連州長史知當州團練副使。

撫虔江三州別駕を転任した。

建中二年.淮西李希烈が都統として山東梁崇義を討つ時、江西将として従い功績をあげた。
希烈は愼を高く評価し麾下に加えようとしたが従わなかった。

三年.李希烈が反し、江西節度使嗣曹王皋は愼を將として討たせようとした。
希烈は愼も味方であるとし、唐朝は愼を殺すことを命じてきたが、皋は従わなかった。
その間、愼は淮西軍を大破し疑いを解いた。

四年.蔡山柵を破り,蘄州を取り、反将李良や韓霜露を破った。
試太子詹事,封南充郡王,兼御史中丞蘄州刺史充節度都知兵馬使。
唐朝への貢納の道を断とうとした淮西將杜少誠を大破した。

興元元年.應山に淮西軍を破り、将劉戒虛を捕らえ,安州を陥した。
安州刺史兼御史大夫,南充郡王仍賜實封一百戶。
隋州李惠登も降り隋州刺史となった。

貞元十二年.検校右散騎常侍を加。

十五年.安黃等州節度管內支度營田觀察等使に昇格した。

十二月.淮西吳少誠が反したので、その兵を鐘山に破り。

十六年.さらに荊南湖南江西三道兵を率いて申州城に破った。
功績により檢校刑部尚書を加えられた。

二十一年,安黃節度は奉義軍となり,愼は奉義軍節度使檢校右僕射となった。

永貞元年.憲宗皇帝が即位.愼は軍權を返上し入朝して、正任の尚書右僕射となり安黄節度使は廃された。

元和二年.檢校左僕射兼右金吾衛大將軍に移った。

五年.河中節度使就任を求めて神策中尉第五從直に贈賄したことがばれて検校左僕射右衛將軍に左遷されたが、數月で光禄大夫檢校尚書右僕射兼右衛上將軍に復帰。

元和六年に卒,年六十八,贈太子太保。諡曰壯繆。