主君の唐朝歸附に従い出世した將軍。
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陳楚伝
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楚[字は材卿]は定州の人。
易定[義武軍節度]を唐朝に返還した張茂昭の甥。
若くして武勇があり義武軍牙將として茂昭に仕え活躍した。
茂昭に従い入朝して諸衛大將軍.封普寧郡王。
易州刺史となった。
元和十二年/十一年十二月.義武軍節度使渾鎬[瑊の子]が小勝に浮かれて鎭州を攻め、成徳軍に大敗し、定州に兵乱が置き、鎬一家は掠奪され路頭に迷う状況になった。
楚は大雪の中、急行赴任してこれを救った。楚家は久しく定州に住み、軍中はみな友人や旧部下であったので、すぐ常態に復帰することができた。
長慶元年十二月.侵攻してきた幽州朱克融兵を望都及北平で破った。
二年七月.宣武軍乱に際して、東都留守判尚書省事東畿汝防御使となるが、武官が東都留守になる前例はないとの指摘があり、八月.河陽三城懷節度使に転じた。
三年二月.治所の河陽三城に懷州の門戟を移した。
その後、検校司空.左羽林/龍武統軍に移った。
長慶三年.卒。六十一歳,贈司空
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陳楚伝
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楚[字は材卿]は定州の人。
易定[義武軍節度]を唐朝に返還した張茂昭の甥。
若くして武勇があり義武軍牙將として茂昭に仕え活躍した。
茂昭に従い入朝して諸衛大將軍.封普寧郡王。
易州刺史となった。
元和十二年/十一年十二月.義武軍節度使渾鎬[瑊の子]が小勝に浮かれて鎭州を攻め、成徳軍に大敗し、定州に兵乱が置き、鎬一家は掠奪され路頭に迷う状況になった。
楚は大雪の中、急行赴任してこれを救った。楚家は久しく定州に住み、軍中はみな友人や旧部下であったので、すぐ常態に復帰することができた。
長慶元年十二月.侵攻してきた幽州朱克融兵を望都及北平で破った。
二年七月.宣武軍乱に際して、東都留守判尚書省事東畿汝防御使となるが、武官が東都留守になる前例はないとの指摘があり、八月.河陽三城懷節度使に転じた。
三年二月.治所の河陽三城に懷州の門戟を移した。
その後、検校司空.左羽林/龍武統軍に移った。
長慶三年.卒。六十一歳,贈司空