兄光弼の京師での代理であったため、さしたる軍功もないのに優遇された。
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李光進伝
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光進[字太應]は契丹酋長の族。
父は楷洛、兄は副元帥光弼。
至徳元年.房琯の將となり安禄山軍に敗北。しかし兄の関係で慰撫。
至徳二年十二月.代州刺史.開府より范陽郡公。
左驍衛将軍.鴻臚卿員外同正.
代宗皇帝が即位、檢校太子太保.御史大夫,涼國公となった。
吐蕃の入寇に際しては副元帥郭子儀の補佐となった。
廣徳中.その後宦官李輔國の配下で禁兵を掌る。
永泰元年.渭北邠寧節度使。
進封武威郡王。
大暦四年六月.檢校戶部尚書知省事。未幾檢校刑部尚書兼太子太保となった
十月卒。
前半は兄の代理[人質]として、後半は宦官禁兵の指揮者であった。
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李光進伝
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光進[字太應]は契丹酋長の族。
父は楷洛、兄は副元帥光弼。
至徳元年.房琯の將となり安禄山軍に敗北。しかし兄の関係で慰撫。
至徳二年十二月.代州刺史.開府より范陽郡公。
左驍衛将軍.鴻臚卿員外同正.
代宗皇帝が即位、檢校太子太保.御史大夫,涼國公となった。
吐蕃の入寇に際しては副元帥郭子儀の補佐となった。
廣徳中.その後宦官李輔國の配下で禁兵を掌る。
永泰元年.渭北邠寧節度使。
進封武威郡王。
大暦四年六月.檢校戶部尚書知省事。未幾檢校刑部尚書兼太子太保となった
十月卒。
前半は兄の代理[人質]として、後半は宦官禁兵の指揮者であった。