唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

李元諒/駱元光伝

2019-03-10 09:45:29 | Weblog
漢人と違い蕃族出身の將軍は誠実なものが多い。僕固懷恩や李懷光なども叛臣とされて
いるが宦官や漢人に陥れられたわけである。

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李元諒/駱元光伝
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本姓は安、西域安息人。

宦官駱奉先の養子となり駱元光と称した。

長身で美髯であり、勇敢であったので、宿衛となり試太子詹事となった。

出て鎮國軍節度使李懷讓の元に鎮國軍副使領華州事。

潼關を守ること十數年、軍士は畏服した。

建中四年.德宗皇帝が、朱泚の反乱により逃亡し奉天に籠城したとき、
泚は何望之を派遣して華州を襲わせ、文官の華州刺史董晉は逃亡した。
望之は華州城を取り、東都との連絡を絶とうとした。
元諒は潼關よりこれを襲撃して華州を復し軍備を整えた。
功により御史中丞を加。
藍田の尚可孤と連携し、泚軍を封じ込めることに成功した。
華州刺史兼御史大夫潼關防御鎮國軍節度使となり、
檢校工部尚書を加えられた。

興元元年五月.副元帥李晟に従い京師を回復した。
加檢校尚書右/左僕射,實封九/七/五百戶。武康郡王。

また副元帥馬燧、渾瑊と共に李懷光を河中に伐った。
降將徐庭光は元諒の祖先を西戎出身と侮蔑したので殺害したが、
德宗皇帝は功績を考えてこれを赦した。

貞元三年.渾瑊に従い吐蕃と平涼に會盟、吐蕃の策略から瑊を守った。

丁母憂,加右金吾衛上將軍,起復本官。
賜姓李氏,改名元諒。

四年.加隴右節度支度營田觀察臨洮軍使を加えられ、良原縣に移治して吐蕃防衛にあたった。
良原は荒廃し危険な土地であったが、元諒は率先して屯田築城し安定させた。
これにより涇、隴は安全な地域となっていった、

貞元九年十一月良原に卒した。年六十二/七。贈司空。諡曰莊威。

蛮夷出身の將軍に多い誠実で向背のない良將であった。
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