唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

阿跌/李光進伝

2019-03-20 21:27:51 | Weblog
光進・光顔兄弟は河東節度に属する蕃將であり元和年間に活躍した。
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阿跌/李光進伝
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光進は河曲落稽阿跌部の出身で、姓は阿跌氏。父良臣は襲雞田州刺史。

忠武軍節度.守司徒光顔の兄。

祖先は貞觀中に唐に內屬し羇縻州の雞田州を置き、世襲刺史となり朔方軍に隷属していた。

光進と弟光顏は舍利葛旃[姉がその妻]配下となり、葛旃が僕固瑒[懷恩の子]を殺し、
河東節度辛雲京[懷恩の宿敵]に帰した時に従って太原へ移った。

沈着果断で、節度使馬燧に従い、臨洺を救い、洹水で勝利した。

牙將から代州刺史兼御史大夫となった。

元和四年.成德王承宗が反し、河東節度使范希朝は光進を都將/步都虞候として義武軍を支援し
木刀溝の戦いで功績があった。
弟光顔も御史大夫を帯し、「大小大夫」と称された。

五年十月.銀青光祿大夫檢校工部尚書充單于大都護振武麟勝節度支度営田観察押蕃落等使となり、賜姓され、
弟光顏も洺州刺史充本州團練使となった。

八年七月.靈州大都督府長史朔方靈武節度使に移った。

十年七月.卒した、年六十五,贈尚書左僕射。

兄弟仲は良く、親にも孝行であった。
旧唐書列伝では、光弼系と阿跌系の光進を混同している。