唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

王宰/王晏宰伝

2019-03-04 11:23:22 | Weblog
徐州で自立し、その後唐朝に帰属した王智興の系列、他に晏實・晏平などの凡將がいる。

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王宰/晏宰伝
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徐州の軍閥、太傅智興の子。

若くして壯勇果斷で神策軍の将となった。

文宗・李訓が宦官勢力を排除しようとして失敗した甘露の變で、宦官側で功績があり兼御史大夫光州刺史。

政績が高く、淮南節度使段文昌の推薦で辺境防衛の鹽州刺史へ。

隴州防禦使。

嚴正であり、開成五年.檢校工部尚書邠寧慶節度使に進み回鶻征討にあたった。

會昌三年精鋭で鳴る忠武軍節度使となり、昭義劉稹の自立を伐った。
昭義の東部三州に進駐し、魏博・成德を牽制し、河陽節度使王茂元の没後、九月.これを兼統し忠武軍節度、陳許蔡等州觀察處置等使河陽行營諸軍招討使金紫光祿大夫檢校尚書右僕射兼御史大夫太原郡開國公となった。
天井關を破り、四年.澤州を攻め稹を征討した。

その後檢校司空太原尹北都留守充河東節度管内觀察處置等使に移った。

大中元年.吐蕃黨項回鶻等が河西に侵攻してきたため、兼諸道行営招討使として諸軍を統轄して防いだ。

三年.入朝し宦官に頼り宰相となろうとしたが、宰相周墀に弾劾され果たせなかった。

四年.疾により河陽節度使となり七年まで在任。

太子少保分司、太子少傅となり卒した。

石雄とは父智興以来の対立競合関係であり、劉稹の乱では宰相李徳裕にうまく利用された。