唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

裴均伝

2019-03-28 14:37:20 | Weblog
文官であるが兵事にも通じ、宦官と結託して高官となった。

----------------------------
裴均伝
----------------------------
均は字君齊。宰相光庭の曾孫、度支郎中倩の子。

明經に合格。

諸暨尉から各鎭の幕僚を経て才覚を認められる。

壽州刺史張建封のもとで團練判官、淮西李希烈の侵攻を防ぐに功績があり、上柱國,襲正平縣男。

累膳部郎中

荊南節度行軍司馬。

貞元十九年五月.前任の節度使裴冑の死後、江陵尹.御史大夫.節度使に昇進。

西川劉闢の叛に黔中・荊南を堅守して、檢校吏部尚書を加。

宦官竇文場に通じて德宗皇帝に気に入られる。

宰相に擬せられるが諌官の阻止に逢い、元和三年四月.尚書右/左僕射判度支。
倨傲のため官界の評判は極めて悪かった。

すぐ九月.檢校左僕射同平章事山南東道節度使に出される。封郇國公。

四年.銀器一千五百兩を進奉して諌官が弾劾。

宦官等權幸と通じ、専権収斂に励んだ。

六年五月.卒,年六十二,贈司空。