唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

樊澤伝

2019-03-12 11:36:28 | Weblog
幕僚型で武藝もある官僚である。そつなく方鎭を率い功績をあげた。

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樊澤伝
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澤、字は安時、河中の人。

父詠は開元中に草澤に合格したが試大理評事に終わる。

澤は父を失い各地を放浪、安史の乱の残党相衛節度薛嵩に使えて磁州司倉、堯山縣令。

建中元年.賢良對策に合格し、禮部侍郎于邵や楊炎に推薦されて補闕となる。

都官員外郎を歴任したが、兵書を好んで読んだ。

建中三年.兼御史中丞充通和蕃使として吐蕃に使いして、その宰相尚結贊に遇される。

四年.鳳翔節度張鎰と吐蕃の清水會盟に参加。

金部郎中御史中丞山南節度行軍司馬となる。

淮西李希烈が反し,普王が行軍元帥となり、澤は諫議大夫元帥行軍右司馬となる。

奉天の乱により実行されず、右庶子兼中丞山南東道行軍司馬に戻る。

興元元年.賈耽に代わり襄州刺史兼御史大夫山南東道節度觀察等使。
武藝があり、山東諸將を心服させ、淮西を牽制していた。

貞元二年二月.淮西将杜文朝が来寇したが、破り捕らえる。
ほか李希烈をしばしば破り、將張嘉瑜、梁俊之、李克誠、薛翼を降し、唐、隨二州を取った。

希烈が平定して丁母憂,起復右衛大將軍同正,余如故。

貞元三年.張伯儀に代わり荊南節度觀察等使江陵尹兼御史大夫。

三歲,加檢校禮部尚書

八年.曹王皋が卒し軍乱が起こった山東節度使に復し鎮定した。

十二年.加檢校右僕射。

十四年.卒年五十七,贈司空。諡曰成。
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