3月も中旬というのに、えらく寒くなったものだ。朝、雪が舞っていた。
3月になってからでは、遅いのであるが、昨日自転車雑誌を整理していて、気が付いた。マルコ・パンターニが亡くなって丸2年が経っていた。命日は2月14日だ。アドリア海に臨むリミニの町の滞在型ホテルで、何種類かの精神安定剤とともに死亡しているのが発見された。
パンターニは98年ジロ、ツール2制覇、しかし、それまでに不運な事故に何度も遭遇している。また、ヒルクライマーとして、日本でも絶大な人気。自転車レースに対する求道者のような姿は信仰の対象のようである。
結局99年のジロにおけるドーピング疑惑以来精神的に不安な要素を持つにいたったといわれる。
写真は、私のスクラップから。00年11月の朝日の記事。自転車雑誌には載らない。マルコが自宅近くの進入禁止の路地を入り、駐車中の車など5台にぶつけ、警察に調書を取られたとある。記事は「禁止薬物使用の疑いで裁判中」と最後にコメント。
冥福を祈りたい。
3月になってからでは、遅いのであるが、昨日自転車雑誌を整理していて、気が付いた。マルコ・パンターニが亡くなって丸2年が経っていた。命日は2月14日だ。アドリア海に臨むリミニの町の滞在型ホテルで、何種類かの精神安定剤とともに死亡しているのが発見された。
パンターニは98年ジロ、ツール2制覇、しかし、それまでに不運な事故に何度も遭遇している。また、ヒルクライマーとして、日本でも絶大な人気。自転車レースに対する求道者のような姿は信仰の対象のようである。
結局99年のジロにおけるドーピング疑惑以来精神的に不安な要素を持つにいたったといわれる。
写真は、私のスクラップから。00年11月の朝日の記事。自転車雑誌には載らない。マルコが自宅近くの進入禁止の路地を入り、駐車中の車など5台にぶつけ、警察に調書を取られたとある。記事は「禁止薬物使用の疑いで裁判中」と最後にコメント。
冥福を祈りたい。