今日は昼から呼び出しがかかって仕事。午前中は母の希望もあり、お彼岸のお墓参りをする。お彼岸に墓参りをするのは、昼夜の長さが同じとなるこの日は現世と彼岸の接する日として、真西に太陽が沈むことから、西にある極楽浄土に手をあわせるためだ、そうだ。(よくわからんが)
昨日サイクリングから帰って、左足首が痛く、今日は乗らないつもりでいたが、夕刻家に帰って、風が強いが天気も良いし、ローラーよりは、と思って、5時から千代崎コース12km。
若松で、大黒屋光太夫の供養碑を見る。供養碑は集落の中の墓地にあった。この碑は、光太夫一行が天明2年(1782)12月白子港を出帆、2日後遠州灘で嵐に会い、漂流。2年後に地元の人が建てたものだ。お彼岸らしく、きれいな花が供えられていた。(写真は借り物)
昨日サイクリングから帰って、左足首が痛く、今日は乗らないつもりでいたが、夕刻家に帰って、風が強いが天気も良いし、ローラーよりは、と思って、5時から千代崎コース12km。
若松で、大黒屋光太夫の供養碑を見る。供養碑は集落の中の墓地にあった。この碑は、光太夫一行が天明2年(1782)12月白子港を出帆、2日後遠州灘で嵐に会い、漂流。2年後に地元の人が建てたものだ。お彼岸らしく、きれいな花が供えられていた。(写真は借り物)