『喪中につき年末年始の・・・』この知らせが、今年は多い。20枚も来た。同世代か少し若い世代からである。父母が亡くなる年代なのだが、今年は多い。
年賀状作製がだんだん苦痛になってきたので、今年はこの手で行こうかと不謹慎なことも考えたくなる。親父が死んだときは、年賀状をとうに出し終えた30日だったので、親父のときはこの手を使えなかった。一度は使ってみたいのは山々なれど、などと、つまらぬことを考えているうちに、自分の番が回ってくる。
エンゾ・早川氏は『ラクダのコブの・・・』の本の最後の方で「神よ、私は必要な人間ですか?私には生きて、なすべきことがまだあるのですか?」と「自分の脳を神にさらして問いたい」ためにヘルメットをかぶらないと書いている。
その伝でいけば、もう私などいつまでこの世にいるのかと言われそうだ。
今年は、2度死んでいる。
年賀状作製がだんだん苦痛になってきたので、今年はこの手で行こうかと不謹慎なことも考えたくなる。親父が死んだときは、年賀状をとうに出し終えた30日だったので、親父のときはこの手を使えなかった。一度は使ってみたいのは山々なれど、などと、つまらぬことを考えているうちに、自分の番が回ってくる。
エンゾ・早川氏は『ラクダのコブの・・・』の本の最後の方で「神よ、私は必要な人間ですか?私には生きて、なすべきことがまだあるのですか?」と「自分の脳を神にさらして問いたい」ためにヘルメットをかぶらないと書いている。
その伝でいけば、もう私などいつまでこの世にいるのかと言われそうだ。
今年は、2度死んでいる。