良い天気。秋晴れのこんな天気は多少暑くともサイクリングには最適。
8時半前に家を出て、鹿深(かふか)の道へ。安楽は23Tに入れっぱなしで無理せず登る。黒川から久しぶりに青土ダムへ。ダム湖畔は、車いす金メダルの伊藤選手の練習コースでもある。
今日は次郎九郎への道をたどることが目的。4年前にたどったことがあるのだが、旧土山町役場前の国道一号を横切り、田村川を渡って、左に折れる。
鹿深の道の大原ダムのところ新道が出来ていたので、そことつながっていると思い込んでいた。その途中にある、「次郎九郎(集落名)」は4年まえでも、すでに廃村。集落といってもたった2軒の家が朽ち果てて残っているだけであった。墓場はなかなか立派で、卒塔婆がいくつか立っていたのを覚えている。新道開通でどうなっているか、見ておきたかった。
なぜ関心があるかというと、熊野古道の峠道、尾鷲と熊野市の間に「曽根次郎坂太郎坂」というところがある。志摩の国と紀伊の国境で、「自領、他領」がなまったとも言われている。それでここの地名の由縁は何であろうかと、気になっている。
新名神の土盛りの下の立派な大断面のトンネル(通行量も無いのに、立派過ぎて金の無駄遣い!)【写真】をくぐったところにある次郎九郎への道は「通行止め」の標識が立っている。ここで新道とは繋がっていないことを思い知らされた。どうしょうかと思ったが、この先、500mほどは未舗装路を走らないと行けないし、戻ることの可能性も考えて、諦めた。
そこで、左に折れて、高速路沿いの側道を走っていると、土山PAが現れた。なおも行くとPAに買出しの女性陣がいる。駐車場まで外に作ってあって、PAに入れるようになっている。そのまま通過して側道を下っていくと、結局、高速の高架下の鹿深の道に出た。
そこは神集落の手前で、とんだ大回りの道であった。がっかりして、大原ダムへ登り、例の新道の開通部分を恨めしく横目で見て、柘植、関と帰宅と相成った。
どうも次郎九郎から鹿深の道へ抜ける4年前に走った山道は、この新道によってぶちきられている。ちゃんと繋がっているか、確認しないとあの「通行止め」標識から先へはつっこめないな、と思っている。今度行った時に確かめてみよう。
走行104km
これを書いてから、ネットで調べたら、なんと「次郎九郎」の谷は産業廃棄物最終処分場になっていた。近くの処分場が満杯になったためらしい。面積約24ha。新設の道路はそのための進入路らしい。4年の間になんとも言えない変わりようだ・・・。以前走った谷あいの道は処分場の下になってしまった・・・。
8時半前に家を出て、鹿深(かふか)の道へ。安楽は23Tに入れっぱなしで無理せず登る。黒川から久しぶりに青土ダムへ。ダム湖畔は、車いす金メダルの伊藤選手の練習コースでもある。
今日は次郎九郎への道をたどることが目的。4年前にたどったことがあるのだが、旧土山町役場前の国道一号を横切り、田村川を渡って、左に折れる。
鹿深の道の大原ダムのところ新道が出来ていたので、そことつながっていると思い込んでいた。その途中にある、「次郎九郎(集落名)」は4年まえでも、すでに廃村。集落といってもたった2軒の家が朽ち果てて残っているだけであった。墓場はなかなか立派で、卒塔婆がいくつか立っていたのを覚えている。新道開通でどうなっているか、見ておきたかった。
なぜ関心があるかというと、熊野古道の峠道、尾鷲と熊野市の間に「曽根次郎坂太郎坂」というところがある。志摩の国と紀伊の国境で、「自領、他領」がなまったとも言われている。それでここの地名の由縁は何であろうかと、気になっている。
新名神の土盛りの下の立派な大断面のトンネル(通行量も無いのに、立派過ぎて金の無駄遣い!)【写真】をくぐったところにある次郎九郎への道は「通行止め」の標識が立っている。ここで新道とは繋がっていないことを思い知らされた。どうしょうかと思ったが、この先、500mほどは未舗装路を走らないと行けないし、戻ることの可能性も考えて、諦めた。
そこで、左に折れて、高速路沿いの側道を走っていると、土山PAが現れた。なおも行くとPAに買出しの女性陣がいる。駐車場まで外に作ってあって、PAに入れるようになっている。そのまま通過して側道を下っていくと、結局、高速の高架下の鹿深の道に出た。
そこは神集落の手前で、とんだ大回りの道であった。がっかりして、大原ダムへ登り、例の新道の開通部分を恨めしく横目で見て、柘植、関と帰宅と相成った。
どうも次郎九郎から鹿深の道へ抜ける4年前に走った山道は、この新道によってぶちきられている。ちゃんと繋がっているか、確認しないとあの「通行止め」標識から先へはつっこめないな、と思っている。今度行った時に確かめてみよう。
走行104km
これを書いてから、ネットで調べたら、なんと「次郎九郎」の谷は産業廃棄物最終処分場になっていた。近くの処分場が満杯になったためらしい。面積約24ha。新設の道路はそのための進入路らしい。4年の間になんとも言えない変わりようだ・・・。以前走った谷あいの道は処分場の下になってしまった・・・。