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自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

和田公方屋敷跡

2020-06-17 | Weblog

 梅雨の合間の晴とあって、サイクリング。昨夜のうちに、RDの調整はロー側を締め、イン側を少し緩め、スライド量の調整済み。
 8時半過ぎに家を出て、まずは安楽。28Tを試してみる。基本25Tで登り、勾配がきつい所で28Tをつかうとずいぶん楽だ。でも、27Tとの差なんてわからんね。この脚では30T導入も近いかもね、と思う。(変速調整結果は問題なし)
 今日のランチは「宇奈月」、3月以来の訪問。定番「中華並セット」830円。コロナ対策で、厨房との透明仕切りに加え、カウンターには簡易仕切りで隣席と仕切るようになり、席数は7席。開店と同時に満席、後の方は外で待つ、というようになっていた。食後、店主に聞くと3週間休んでいたとか。
 帰り道、和田集落で左手に「和田公方屋敷跡」の表示を発見。いままで見ていなかったのか気にも留めなかったのか、とにかく行ってみることに。場所が分からなかったので、車を整備していた方に聞いて教えて頂く。その方の地所を通って現場へ(写真)。
  足利義昭が興福寺一乗院門跡覚慶であった永禄8年(1565年)に、兄の13代将軍義輝が三好に暗殺され、本人も幽閉されたが、藤川、和田氏らの助力により脱出、この和田の地に4~5か月滞在、幕府の再興をめざすと各地の大名に宣言し、協力を依頼している。和田の集落は県道を挟んで9つの城館跡が残っており、守りの堅そうなところである。義昭はこの後、守山市矢島、若狭を経由し朝倉の一乗谷へ、そのあと光秀の紹介で織田信長とご対面、というのは有名なところ。
   奈良を抜け出した覚慶が和田に滞在していたのは知っていたが、住んでいたのは城内の部屋かと思っていた。殺害された将軍の弟であり、居館を用意し、警護していたんでしょうな。
 この後は、小杉、柘植、加太といつもの帰宅コース。今回も歴史探訪サイクリングとなりました。走行90㎞

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