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自転車のサドルの上で・・・

サドルの上での気ままなひとりごと

「庄野」戦記 (改題)

2020-07-08 | Weblog

 今年のユニクロUTの浮世絵シリーズには東海道53次「庄野」があって、地元ネタで良いなと思っていた。が、気が付いた頃には通販でもMサイズがなく残念と思っていた。そういう姿をどうも見かねたようで、「少し早いけど、誕生日プレゼント」と娘から頂いた。安いものだが、こういうのは素直に嬉しい。
 庄野は以前自分が住んでいた所の隣町である。
 3歳の秋口(1954年)、兄に連れられて兄の幼稚園の同級生達6,7人と、庄野と自分の住んでいた町との境まで出かけた。幼稚園は設立者が庄野町の方で、両町の境近くに建てられていた。このため、幼稚園(小さい幼稚園で年長だけ)には両町から半々通園していたのである。
 さて、町境のところには工場建設のため造成中の荒れ地が広がっており、ウネウネとブルが掻いた大きな土跡が土手のように何本も並んでいた。手前の土手にたどり着くと20m?ほど前方の土手に、同じような数の庄野のガキどもが顔を出して、こちらを睨んでいる。
 おもむろに、ののしりあいが始まった。お互いの事や親や町などのけなしあいを大声でわめきたてるのである。(「お前のかぁちゃんでべそ」なんてのは可愛いほうだ)
 お互いに気分が高揚したところで、掛け声とともに、石つぶての応酬が始まる。
(まるで戦争である。2月の母親の葬儀の時、兄の話す所によると、兄はリーダー格で、庄野のリーダー格から「戦争」の打診があると、時刻を定め、幼稚園の同級生を動員し、この場所で何度か石つぶてによる「戦争」ごっこをしたらしい。)
 3歳の自分は兵站部隊で、応酬が始まると、30mほど後方にあった国鉄の線路まで行って石を拾ってくる役にやとわれたのだ。
 自分は後ろへ「武器」を拾いに行くよう命じられたものの、すぐ横を、敵から投げられた小石が、音もなく飛んできて土手を越えて落ち、コロコロと転がる中を駆けだすのであるが、涙が出るほど怖かった。小石を抱えて、前線に戻るときは相手方の動きがわかるのでまだ良かった・・・。
 恐怖心からか、あるいは武器が無くなったからか、どちらかが敗走したら負けで、その背中へさらにののしるのである。(「砂利は無尽蔵にあり、武器の豊富なこちら側が常勝したのだ」と兄は愉快そうに話していた。)
 勝ちはしたが、2度と兄の誘いには乗らなかった。

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